- 運営しているクリエイター
#不登校
SOSや吐露する感情をブラッシュアップしてゆく。#私なりの生きづらさ論
ここ最近、若者の自殺対策であったり、ヒカリテラスのワークショップ(もやもやシェアリング)であったりを考えると、やっぱり思うんです。
アウトプットをする大切さを。
若者の自殺対策において、しょっちゅう見かけるのは「電話相談」や「チャット相談」の類です。(アウトリーチとか、フィルタリングとかも見かけるけど。)
ただ、いち当事者として伝えたいのは「様々な相談窓口があることすら知らなかった」という無
私たちが持つ「学ぶ権利」
私は大学に入って、とある資格を取ろうと思って「教育」についての科目を取って講義を受けてます。(この授業めっちゃ楽しいのですよ。興味深いって意味で。)
そして、この授業で「学校教育は今の日本にとって完璧なのか」「学校外での学び」についてを考えながら受けてます。
やっぱり「不登校」「生きづらさ」を考えるなら、教育という場所からの視点も持っておきたいと思ってるので。
今回、この記事で書きたいのは義
「不登校」でズルい私を肯定したかった
私はズルい。そのひとつの考えに縛られてきました。
きっと今もそうかもしれないけど。
今は、その私自身を認めてあげられるように努力する真っ最中。
その時書いた記事です。
肯定するための知識私、大学内では法学部政治学科というところにいて、政治のお勉強をしているんです。
でもその一方で、社会教育主事という資格を取るためのお勉強もしていました。(理由は教育の勉強したかっただけなんだけども)
その資
20になる私はもう「不登校当事者」なんて言えないかも。
かれこれ長いこと不登校について語ってきてるんだなぁとしみじみしています。
私が不登校生活をスタートしたのは、今から7年も前のことになるんですね。逆に終止符を打ったのは今から4年前。
歳を重ねるにつれてたったの数年はあっという間だと言いますが、もうとっくに昔の出来事なんだと感じます。
今回は当事者意識の話を書きますね。
何を以て当事者なんだろう。まず当事者という言葉は、
その事に直接関係を持
「何も知らないくせに」が生きづらさと向き合うキッカケ。#私なりの生きづらさ論
昔の私は兎に角トゲトゲしていたと思う。
それは人の温もりをわすれた捨て犬みたいな感じ。
当時大人に向けて放った言葉、周りの人に思っていたことは
「誰も私のこと、何も知らないくせに。」
もう捨ててしまったけど、たくさんノートに書き殴った記憶がある。
今思うと、「誰も私のこと、何も知らないくせに。」という誰もは、自分自身も含まれていたんじゃないかなって思ったりもする。
不登校とか引きこもりとかに