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父親が「ヤコブ病」と診断された

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2019年11月の記事一覧

孫に会う日

孫に会う日

11月29日 妹が子供を連れて施設に会いにくる。

朝、布団がめくれて、父親の足が見えていた。私は唖然とした。骨と皮しかなくて、骸骨のようだった。腕も、今まで何度も点滴を挿し直したため、いたるところに内出血ができていた。痛々しい紫の痣が、また私を「このまま点滴を続けていいのか」と考えさせた。

今日は昼から、伯母や従弟、祖母が施設に来ていた。従弟は頻繁に父親の顔を見ているわけではないので、変わり果

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笑顔

笑顔

11月27日 妹が23歳の誕生日を迎える。

妹は、この世で唯一の私の本当の理解者だ。

今まで歩んできた道は全く違うが、家庭に結びつくことにおいての立場は、私と同じだからだ。具体的に言えば、同じ父親と母親を持ち、両親の離婚を経験し、それに付随する色々と不便だったことも共有した。祖父母をはじめとする親戚それぞれの良いところと悪いところを、感じたままにお互い話し、理解しあってきた。お互い大人になって

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「要介護5」に対して家族ができること

11月26日 父親のためにできることが極端に減ったことに気付く。

10月半ばに受けた要介護認定調査を受けた時点では、要介護2の状態だった父親は、11月に入った時点ではすでに要介護5の状態まで進行していた。認知機能が低下し、食事や排泄などにおいて介助が必要な場合が要介護2、完全に寝たきりの状態が要介護5だ。

要介護認定とは、認知機能・運動機能・日常の生活動作などにおいて、どの程度の介護が必要かを

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ミオクローヌス

ミオクローヌス

11月25日 父親が深夜に3回飛び起き、ベッドから落ちそうになる。

こんなことは久しぶりだった。どのくらい久しぶりかというと、自宅で見ていた頃、リボトリールというてんかん発作を止める薬をもらう前によく見た症状だった。症状が出てから薬をもらって再入院するまでは良く眠れていたので、約一ヶ月ぶりになる。

一ヶ月前は自分の足で歩けていたので、夜中に私が風呂から出て戻ると、ベッドから落ちて布団の上に座っ

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自分の時間を持つこと

11月23日 久しぶりに大学時代の仲間に会う。

朝、父親はまた大きく暴れてしまった。その後突然以前の父親のような表情に戻り、上体を起こそうとした。私の方を見ながら、少し笑ったような困ったような顔をして、なにかを伝えようとしていた。しばらくして、父親は久しぶりに言葉を話した。途切れ途切れでとても時間がかかったが、それはしっかり文章になった。

「ぜんぶパパがわるい」

こんな状態になっても、父親は

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施設の方針と対立する

施設の方針と対立する

11月22日 施設の方針と家族の方針が対立する。

今日は父親が大きく暴れることはなくなった。父親が好きだったアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「In the Stone」を一緒に聞いて、とても穏やかに楽しむような表情を見せていた。小学生の時に口ずさんでいたら、担任に「よくそんな曲知ってるね」と言われたことを思い出した。

この施設に決めた理由の一つに、いつでも家族が出入りし、寝泊まりすること

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施設に移る日

11月20日 父親が施設に移る。

朝9時に施設の介護タクシーが迎えに来た。リクライニング車椅子で車に乗り、出発した。父親は外の景色を見たり寝ていたりして、心なしか楽しそうな表情をしていた。2週間ぶりに外の空気を吸って、リフレッシュした感じでスッキリとした表情だった。この顔が見られただけで、外に連れ出した甲斐があったな、と思った。

この日の夜、不随運動で興奮した父親が、86歳の祖父と82歳の祖

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主治医のことば

11月19日 自分のことを、はじめて主治医に相談する。

私は、相手の立場や職業をわきまえず、なんでも自分の話をする人が嫌いだ。例えば、叔母が医療の専門である医者に「家族がいなくなると思うと本当に辛くて眠れなくて、睡眠薬を飲んで寝てるんです。」話したとき、正直すごく無駄な時間だと思った。誰彼構わず自分の弱いところを見せるのも、無意味だと思っている。

朝の回診の際、「病気の原因は5年前の離婚である

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本当の孤立

本当の孤立

11月18日 「原因はお前たちだ」をまた繰り返される。

父方の親戚は、病的なまでに考えが古く、甘く、目先のことしか見えない時がある。1人が、ではなく、全員が、だ。それは、そういう家の中で、そういう常識で育ったのだから、当たり前だった。

父親はそれに気付いていて、なかなか抜け出せなかった。抜け出す気もなかった。母親は、父親とその家族との様々なことが我慢できずに出て行った。私は母親と仲が良く、父親

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抑制帯との戦い

11月17日 抑制帯をつけないか、と打診される。

父親は昨日よりも大きく暴れ、点滴の針も今日だけで2回挿し直した。看護師からは、「ご家族もそろそろお休みが必要かと思いますし、抑制帯をつけてみませんか?」と打診されたが、私はそれを断った。

ここ2週間の間、一日中病室にいる。夜9時〜10時の間に一度家に帰り、風呂に入り夕食を食べる。そして、また病室へ行く。こうしてほぼ病院にいるのには、理由がある。

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父親の「鳴き声」

11月16日 父親が唸ったり叫んだりを繰り返す。

このところ父親は、鳴き声のような無意味な声をずっと出している。母音だったり「シ、シ、シ...」だったり、その時の口の形のまま、起きている間はずっと声を出している。たまに口を大きく開け、目を見開いて、大声で何かを叫ぶ。だがそれは意味をなす言葉ではない。

以前見舞いに来た親戚はその姿を見て、ショックで崩れ落ちた。片田舎の昔の人だから、「変な精神病の

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私を覚えていて欲しい

私を覚えていて欲しい

11月15日 父親はまだ色々と覚えていることが分かる。

父親が懇意にしていた保険の営業担当者が見舞いに来る。私は面識がないつもりだったが、私の顔を見た瞬間「あら大きくなって」と言われた。本当に昔からお世話になっていた方のようだった。

その顔を見て、父親は起き上がろうとし、保険会社の名前を言った。いつも「◯◯生命の◯◯さん」という呼び方をしていたから、恐らくそう言おうとしたのだろう。病気に倒れて

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深夜2時のできごと

11月14日 父親が再び就寝中に飛び起きるようになる。

最近の父親は、夜間に飛び起きる症状が治まってきていた。アタラックスPというごく普通の安定剤の点滴で、特に問題なく眠れていた。

しかし今日の深夜、今までにないほど激しく、叫びながら暴れた。夜勤の担当は、例の父親と同じ名前の男性看護師だった。父親の叫び声と叔母の泣く声を聞いて、ナースコールも押してないのに走って飛んできた。というか、ナースコー

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神経病院という場所

神経病院という場所

11月13日 神経病院の見学に行く。

近くの精神神経病院に転院するという選択肢も、まだ残っていた。病院のようすを見に行ってから、施設が病院かで行き先を決める。

父親のような重篤な神経病の人が入院する「特殊疾患病棟」に案内され、病院の中を歩く。呼吸器のシューシューという音は、このフロアの6割を占めるALS患者たちのものだ。痰吸引のジューッという音も、ひっきりなしに鳴っている。48床中、車いすで歩

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