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施設の方針と対立する

11月22日 施設の方針と家族の方針が対立する。

今日は父親が大きく暴れることはなくなった。父親が好きだったアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「In the Stone」を一緒に聞いて、とても穏やかに楽しむような表情を見せていた。小学生の時に口ずさんでいたら、担任に「よくそんな曲知ってるね」と言われたことを思い出した。

この施設に決めた理由の一つに、いつでも家族が出入りし、寝泊まりすることができるという点がある。他にも、病院は入浴できないなどケアの質も悪く、何らかの治療をしなければいけないので経鼻栄養や胃瘻を検討しなければいけないから、という消極的な理由もあった。

施設に入って3日目にして、経営側の担当者から「夜間の寝泊まりを控えてくれないか」という打診があった。当初の話と違うので、戸惑った。ご家族の体調が心配だし、ずっとここにいられると介護や看護がやりづらい、とも言われた。最後に、お父さんは一人になりたいのではないですか?娘さんも、羽を伸ばして遊びに行ってはどうですか?やりたいことをやったらどうですか?と聞かれた。返事は後日とのことだった。

私が今一番やりたいことは、父親のそばにいることだった。今はそう感じないが、数日前に親戚の中で孤独な立場にいた時も、親戚からは離れたいと思ったが、父親から離れたいとは微塵も思わなかった。それに、仕事を休んでいる今、私から父親をとったら何も残らない。虚無になってしまう。

そして、父親が一人になりたいと思っているとも、私は思えなかった。正確には、私や妹、別れた母親と一緒にいたいのだと思った。父親は、今まで散々一人でいたのだ。私が散々一人にさせてしまったのだ。

その点は、家族にしかわからないものだった。側から見たらうちの家族は異常かもしれない。施設に預けてでも毎日会いに来るし、誰かが泊まるのだから。しかしそれは、使命感や施設への不安からやっていることではない。全員が、自分がやりたくてやっていることだった。特に父親は56歳という早い年齢で発症し、人よりも早く死を迎えることになるし、この病気は明日にでも意識が無くなるかもしれない病気だからだ。意識があるうちに沢山会い、後悔はしたくないに決まっている。その点を分かってくれるのが、この施設のはずだった。

とはいえ施設内にも私たちの気持ちを理解してくれる人は大勢いる。ここで働く看護師や介護士は、話を聞いて、それとなく経営側に言ってみますと言ってくれた人もいた。

今日の夜勤担当の看護師は、私たちが経営側から宿泊を遠慮するように言われている話を知っていた。
「家族がいて自分の仕事ができないっていう言い分は、恥ずかしいよね。私は全然気を遣わないし、家族が寝てようが何しようがやることをやるだけだし。家族に気を使うのが仕事じゃなくて、患者さんにあれこれするのが仕事だからね。」

その点からいえば、経営側は家族に気を使うのが仕事だから、こういう対立が起きるのだなと納得した。

後日、もう一度自分の言葉で宿泊を許してくれないか頼んでみることになった。経営側は、娘であり介護のキーパーソンでもある私の言葉を聞きたがっていた。私が本音を言えば、理解してくれるかもしれなかった。いずれにせよ、当初の話と違うことは事実なので、絶対に角が立たないように気をつけて、話をしてみようと思う。万が一、不和が生まれてしまえば、不利益を被るのは意思表示のできない寝たきりの父親だからだ。

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