施設に移る日

11月20日 父親が施設に移る。

朝9時に施設の介護タクシーが迎えに来た。リクライニング車椅子で車に乗り、出発した。父親は外の景色を見たり寝ていたりして、心なしか楽しそうな表情をしていた。2週間ぶりに外の空気を吸って、リフレッシュした感じでスッキリとした表情だった。この顔が見られただけで、外に連れ出した甲斐があったな、と思った。

この日の夜、不随運動で興奮した父親が、86歳の祖父と82歳の祖母を思い切り蹴った。興奮している際は、もう誰が誰だか完全にわからないようだった。祖父母は初めてこの光景を目の当たりにして、とてつもないショックを受けていた。帰りのタクシーの中、二人は一言も話せなかった。


11月21日 父親が21日ぶりにお風呂に入る。

介護施設を選んだ理由の一つに、入浴設備が整っていることがあった。父親はもともと綺麗好きなところがあり、風呂には毎日入っていた。病院にいた時は清拭のみだったので、気持ち悪かったのだろう。しきりに頭や体をかきむしっていて、その反復動作がミオクローヌス(不随運動)を引き起こすことも多々あった。

男性の介護士で、父親が信頼しているだろう人がいる。若い方だが、介護タクシーで病院から移る時も、たった一人で父親を抱えてベッドから車椅子に移したり、お風呂にもほとんど一人の力で入れてくれた。父親も頼りにしているようで、その方を見ると会釈したりする。頭を少し下げて、お礼をする時もある。このような第三者とのつながりも、時には必要だなと思った。

今日は大きく暴れることなく、笑顔を見せることが多かった。外語祭の話をしたら、また笑っていた。「パパ、インドの劇に来てくれたよね。覚えてる?」と聞くと、笑って何度も頷いた。
「あの時怒ったけど、本当は嬉しかったよ。来てくれてありがとう。」
父親はにこにこして頷いた。私たちは仲直りした。

親戚とのことも、うまく自分の中で線引きができた。聞くべきところは聞き、それ以外は受け入れない。そのやり方が、自分の中で早くも型についてきた。

また、叔母から「今まで自分のせいでつらい思いをさせて悪かった」と謝られた。その後珍しく二人で回転寿司を食べに行った。叔母は、やっと以前の生活に戻る覚悟ができたようで、大阪に戻る決心をした。今日は施設に泊まり、明日の新幹線で出発する。今日の叔母は、今までの叔母とは何かが違っていた。多少のことでは慌てず、「兄はいずれ死ぬこと」を受け入れたようだった。残された家族の今後のことも考える余裕があった。

私の中では、親戚に関する問題は解決したように思う。溜飲が下がった。介護休業の間は、父親と同じ時間を共有していたい。娘だから、という使命感から施設に泊まるのではなく、会いたいから来て、まだ一緒に居たいから泊まるのだ。

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