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ゴスペル日記

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ある歌好きの日本の少年がブラックミュージックに魅せられ、本番アメリカに渡り、黒人系教会のゴスペルシンガーを目指す物語。
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2020年5月の記事一覧

「ゴスペル日記」15 ~教会~

「ゴスペル日記」15 ~教会~

ゴスペル日記 15 ~教会~

はじめて教会で歌ったのは大学でのクリスマス・コンサート明けだった。

晴れ渡った日曜の早朝
乾いた空気
見上げるパームツリーは
空の青まで突き刺さる

LAの冬はあまり寒くない。
日中はジャケットを着ていれば暖かいくらいだ。
テキトーにつけたクルマのラジオからはスムースジャズ
窓を全開でユル~く走るのはなんともいい気分だ。

赤い屋根の白い小さな教会。

そして

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「ゴスペル日記 14」〜貧乏生活~

「ゴスペル日記 14」〜貧乏生活~

ゴスペル日記 14 ~貧乏生活~

クルマをゲットと引き換えに
凄まじい貧乏生活が始まった。

題して
「1週間$10 作戦(ガゾリン代込み)」
 *2002年当時のレートは$1=約120円くらいだったかな

その名の通り1週間$10で1年間生活するのだ。
これは今までの人生で最高にケチった時期である。

家賃は払わないわけにいかないので、
それ以外は徹底的に節制した。

クルマで移動

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「ゴスペル日記 13」 ~夢と現実~

「ゴスペル日記 13」 ~夢と現実~

ゴスペル日記 13 ~夢と現実~

アメリカ大陸が見えてきた。そしてここから本当の留学が始まる。

まず最初は住むところだが、
初渡米のときから世話になっている親友ベーシスト(後にvoicefreaksと留学プランで提携するLAの音楽学校の代表となるノリさん)の住むところに転がり込んだ。

基本はホームステイなのだがそのホストファミリーが他州に住んでいるので実質、彼と一軒家を借りているような、な

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「ゴスペル日記12」~再出発~

ゴスペル日記12~再出発~

それから数ヶ月後、私はアメリカ大使館にいた。
再び留学ビザの申請をするためだ。

最初に申請したときは大使館のほうでいろいろ事件があった?ことが原因なのか、
自分の書類に不備があったのか(←多分それ)
ビザが下りなかったため、毎回90日以内での渡米を余儀なくされたが、
今回は徹底的に揃えた。

何が何でも行かなくてはならなかったからだ。

留学ビザの申請はハッ

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「ゴスペル日記11」 ~再起動~

「ゴスペル日記11」 ~再起動~

退院後は盲目的に自分探しの旅だった。
歌う事以外に自分には何ができるのかを探さなくてはならなかった。

ある日、気が付くとなぜか寿司屋で握っていた。
こんなツラして「へい!赤貝おまち」とか言っていた。

またあるときは弁当配送で道に迷って怒られまくっていた。(天才的方向音痴です笑)
最後は焦ってすっ転んで弁当100人分道路にぶちまけてクビ。。

そうかと想えば当時のソフトネットのモモちゃん(ピンク

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「ゴスペル日記10」~挫折~

97年の初渡米以降、何かに取り憑かれたかのようにバイトに狂った。

貯金をしては98年99年と毎年のようにカレッジのスプリングとクリスマスのゴスペルコンサートに標準を合わせて3ヶ月渡米を繰り返していたが。

しかしその後、柄にもなく音楽に行き詰まる。
21歳のときである。

その頃、渡米を重ねる毎に視野が拡がり、
今まで見えなかったもの、聞こえなかったものを感じれるようになってきたまでは良かっ

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「ゴスペル日記 9」~帰り道~

「ゴスペル日記 9」~帰り道~

初渡米の帰りの飛行機の中
それまでのちっぽけな自分の人生と比較すると
ワリと壮絶だった3ヶ月を思い返す。

もちろんいいことばかりだったわけではない。
てゆーかゴスペル体験を抜きで考えれば困ったことだらけだった。

まず私は、とある音楽学校の寮(とはいっても古いアパートの一室(一応の家具は揃ってた)を借りての人生初の一人暮し。

いろいろと・・ホントにいろいろとクダラナイ小さな事件が勃発しまくった

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「ゴスペル日記8」~初コンサート~

ゴスペル日記8 ~初コンサート~

そして先生は聞いていた、一人ひとりの声を。

当然、私の声も聞いてくれていた。

ハロウィンも終わり、アメリカ生活も2ヶ月が過ぎようとしていた11月のある日、
12月にクリスマスコンサートをやるという。(実際はもっとは早くから言われていたのだろうが言葉が理解できていなかった)

当然、
自分はそのときはモグりだったのでコンサート当日は観客席でみんなを応援し

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「ゴスペル日記7」 ~Big-D~

「ゴスペル日記7」 ~Big-D~

ゴスペル日記7 ~Big-D~

眠れない・・眠れない、昼間の興奮が冷めやらず、
ちっとも眠くならないのだ。
それもそのはず、あんなサウンドは初めてだった。

やっと時差ボケが治ってきたかと思ったら今度は興奮で眠れないとは・・。
しかもあんなにチャリンコこいでクタクタなのに。。

これが私のゴスペル初体験だった。

なんだかアメリカに来て早々にやりたいことが見えてきたぞ。
スティービーやマライ

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「ゴスペル日記6」 ~初体験~

「ゴスペル日記6」 ~初体験~

ゴスペル日記6  ~初体験~

着かない・・着かない・・着かない、、

それもそのはず、現地の人は基本的に移動はクルマです(笑)

クルマを基準に「近所」と言っていたのに気がついたのは
家を出て1時間以上チャリをこいでからだった。

パサデナは自分が住んでいる家からバスを使っても2本乗り継いで行くところだったのだ。。

それでも幸い、LAの道は碁盤の目のようにキレイに整理されていたのと、

すっ

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「ゴスペル日記5」 ~出陣~

「ゴスペル日記5」 ~出陣~

街行く人に「掘ったイモいじるなぁ!」  

スーパーのレジ待ちで「掘ったイモいじるなぁ!」 

郵便局で「掘ったイモいじるなぁ!」

腕時計を外してポケットに隠し、さも時計を持ってないかのように
「掘ったイモ、掘ったイモ、掘ったイモ・・」・・・・

ただのヘンタイである。

しかしこのインチキ・イングリッシュが後に大活躍しようとはこの時点では知る由もなかった。

まぁそうこうしているうちにな

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「ゴスペル日記 4 」~上陸~

「ゴスペル日記 4 」~上陸~

ゴスペル日記 4 ~上陸〜

1997年 9月27日
待ちに待った出発当日 、
スーツケースなんてシャレたものはもっていなかったので、
バスケ部で使ってたデカめのスポーツバッグに幾つかの服とスニーカーを詰め、
そのとき買った一番安い航空チケットを手に出発した。

飛行機という乗り物に乗るのが人生で初めてであった。
正直、当時の無知な19歳には、
こんなデカい鉄のカタマリが空を飛ぶなんて俄に信じ

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