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「ゴスペル日記11」 ~再起動~



退院後は盲目的に自分探しの旅だった。
歌う事以外に自分には何ができるのかを探さなくてはならなかった。

ある日、気が付くとなぜか寿司屋で握っていた。
こんなツラして「へい!赤貝おまち」とか言っていた。

またあるときは弁当配送で道に迷って怒られまくっていた。(天才的方向音痴です笑)
最後は焦ってすっ転んで弁当100人分道路にぶちまけてクビ。。

そうかと想えば当時のソフトネットのモモちゃん(ピンクのヤツ)の着ぐるみバイトでガキんちょに股間を蹴られまくる。。ウゥゥ

また、あるときはアヤシイ健康食品を売ってた。
かなりファンキーなネズミコウだった。

貯金がゼロになり、大事な友達を何人もなくした、、もう二度とやるもんか。

その他、カフェ数店、和食屋、洋食屋、郵便配達、牛乳配達、小学校ミニバスケのコーチ、カメラマン
、、、
いろいろやってみた。

しかし何より、
衝撃的だったのは横浜八景島シーパラダイスのお化け屋敷でエイリアンや死神になっていたことだ。

しかも、あまりにも自分に向いていたのか(?)
いつの間にかナゼか2つのアトラクションの(バイト30名)の責任者になっていた。

そこでは客の安全管理や脅かし方から呼び込みはもちろん、並んでる客を飽きさせないトーク、バイト募集戦略から面接官・・・・全てやった。
(このときの経験は、いま経営しているvoicefreaksボーカルスクールで役立っている)

なぜそこまでやらなければならなかったかというと、そのアトラクションを提供していた会社の社長さんがイキナリ最初から、建物と衣装だけ用意して

「んじゃ、頼むね!」

とだけ言って帰っちゃったからである(笑

「ナニーーー!?そんなバカな。。」

一瞬、無責任に思えたが多分これは「オレは試されてる!」と思った。(←脳みそハッピー)

すると久しぶりに腹の底からワクワク感というかモノスゴイ情熱が湧き上がってきた。

マニュアルらしきものが無かったため、ありとあらゆることをゼロから創っていった。

かなりクリエイティブな仕事だったが、
でも面白かったし自分のお化け屋敷になっていくようなカンジも最高だった。

今はもう他のアトラクションになってしまったが、当時は仲間もいい人材が揃っていた。

しかも激コワ!! チビッちゃう客が続出したくらいだ。
どーせやるなら世界一怖いお化け屋敷にしてやる!
そう思ってやった。

結果2シーズンズで記録を作り、数々のドラマが生まれた。
*この話は長~くなりそうなのでまた後ほど別の機会に!

もしかしたら天職か?
音楽より向いているかも?

とまで思った仕事であった。

とにかく、この頃は自分には何が出来るのか必死になって探してた気がする。

でも、やがて自分のやっていることの全てが
たった一つの 「本当の音」 を出すためだけに集約されていたことに気付く。

何をやっていても
メロディーを追い、
リズムを打ち、
歌っていないときほど心が歌っていたことに2年かけて気付く。 

「歌おう・・・」 素直にそう思った。

それから数ヶ月後、 私は再び留学ビザ申請のため、アメリカ大使館の前に立っていた。

・・・・・・・つづく

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