「ゴスペル日記 13」 ~夢と現実~
ゴスペル日記 13 ~夢と現実~
アメリカ大陸が見えてきた。そしてここから本当の留学が始まる。
まず最初は住むところだが、
初渡米のときから世話になっている親友ベーシスト(後にvoicefreaksと留学プランで提携するLAの音楽学校の代表となるノリさん)の住むところに転がり込んだ。
基本はホームステイなのだがそのホストファミリーが他州に住んでいるので実質、彼と一軒家を借りているような、なんとも絶妙なホームステイだった。
そして音楽活動は当然、先生(マザー・ケラー)のいる大学のゴスペルクラスへ行くことから始めた。
今まで通りできるかどうか確かめたかった。
問題はなかった。
というよりむしろ生意気にも
「こんなに簡単だったっけ?」
とまで思ってしまった。
和音を聞き分ける耳がかなり成長していた。
最終的には先生のフォローといった感じでテナー・パートを教えていたりもした。
ある程度の和音感を持つと、
普段の生活の中で流れる曲を和音で捉えるようになり、
自然にその感覚は研ぎ澄まされていくものなのだなと気付いた。
となればもう学生ではなく次のステージである。
そこでゴスペルシンガーになりたい、
そして心の底からゴスペルミュージックが好きだ、
クワイヤーに入りたい、
ということを先生に伝え全力で頼んだ。
先生は初めて会った日と同じ笑顔で
「OK」といってくれた。
さて、ワリと早い段階で夢が現実となる・・・
と思われたが、それに付随する厄介なことも現実のものとなる。
喜びも束の間、教会のある場所を地図で探すとかなり危険地域なことが発覚。
昼間のサービス(神父のお説教を聞いたり、それに添える歌を歌ったりすることなど)はいいとして、
夜のクワイヤ(ゴスペル聖歌隊)のリハーサルにチャリンコで行くのは 正直かなりデンジャラスだ。
特に日本人は狙われる。
しかも大学の2倍遠い。
無謀である。
(実際、その後クルマで2度ほど夜に黒人のグループに囲まれたことがあるが、たまたま助手席に黒人の友達がいたので何事もなかった)
そこでまたちょっとした決意が必要となった。
車購入だ。
実はLAには日本の車検制度なるものがない。
なので信じられないくらいボロボロの車がたくさん走っている。
(日本以外の国はけっこうそうだが)
安いからといって下手に手を出すと修理やら何やらで結局高くつくことが多く、
それで直ればまだいいが、廃車となれば当然もう一台買わなければならなくなる。
まさに安物買いのなんとやらである。
でもお金で済むことならまだいい。
それこそ危険地域で車が壊れて停まったときは命に関わってくる。
ハッキリいってビンボー留学生。
生活費を切り詰めまくって2年ちょい滞在できるかな?くらいの感じだった。
しかし細く長くより太く短くだ!と思い、かなり程度のいい車を買った。
お陰様でイキナリ滞在可能期間が残り1年を切った。。
もちろんそれからは超極貧生活開始である
がんばれ自分。。
・・・・・・・・・・つづく
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