「ゴスペル日記12」~再出発~

ゴスペル日記12~再出発~


それから数ヶ月後、私はアメリカ大使館にいた。
再び留学ビザの申請をするためだ。

最初に申請したときは大使館のほうでいろいろ事件があった?ことが原因なのか、
自分の書類に不備があったのか(←多分それ)
ビザが下りなかったため、毎回90日以内での渡米を余儀なくされたが、
今回は徹底的に揃えた。

何が何でも行かなくてはならなかったからだ。

留学ビザの申請はハッキリ言ってダルい。
最終学歴や残高証明、留学する理由を英文で等など、、
細々した書類をいっぱい用意しなくてはならないし、
しかも最後には面接!!である(笑


でもなんとか今回は全力を尽くしたかいあって、
そして9・11テロの影響を回避するため1年延期したかいもあってか、
問題なく大使館から封書が届く。

中にはしっかりと留学ビザが同封されていた。
最初の申請から5年が経ち、もう24歳になっていた。

今度は短期じゃない、腰を据えて歌をやってこれる。

不安はなかった。
かといって喜びでいっぱいというわけでもなかった。

不思議と落ち着いていた。

それまではただ単純に
「アメリカで歌をやりたい」
という漠然とした夢だったのに対し、

今度はカレッジのゴスペルクラスではなく、
「本物の黒人系教会のゴスペルシンガーになる」
というハッキリとした目標に替わっていた。

自分の大好きなR&BやSoulなど
いわゆるブラックミュージックといわれる系統のルーツはゴスペルである。

最近、日本ではゴスペルはまるでR&BやSoul、Jazz、Blues、Funkなどのように一つのジャンルのような扱いになっているが、
本来ゴスペルはジャンルではなくブラックミュージックのルーツである。

例えていうなら、
日本食を学ぶときに、料理どーこーの前に
「お箸をしっかりと使えますか?」みたいなもんである。

そのゴスペルシンガーもやったこともなしに
何がR&Bシンガーだ!Soulシンガーだ!Jazzシンガーだ!
って自分自身にそう思ったのだ。

さてさて、そして迎えた渡米の日、
結局、荷造りがオセオセになり寝れずに夜明けを迎える。

でも飛行機でグッスリ眠れるだろうと思ったが、
やはり眠れない。

ワクワクしてたのではない・・・
私は飛行機で寝れないのだ。 。涙

今まで太平洋横断すること14回。
たったの一度も眠れたことがないのだ。

だから到着までの時間の長いこと永いこと、
機内食の待ち遠しいこと、
上映する映画がショボかったときの悲しいこと・・・
(当時は現在のように1人に1つのモニターではなく、みんなで1つの映画を観る)

こうなったら酔っ払って寝てやる!
と、飲めないくせにワインをもらって具合悪くなって余計に寝れず。。オェ。。

そうこうしてるうちにアメリカ大陸が見えてきた。 うぇっぷ。。
もうけっこう見慣れたもんである。 オェ。

そしてここから本当の音楽留学が始まる。ゲーーーーー。。。


・・・・・・・・・・・つづく



2006年03月08日に書いたものに追記したもの

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