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🤱【あなたの為を思って】という罠〜突然ですが心療内科Y医師のこと〜

前作⤵️

全作マガジン⤵️


暫く母の話が続く予定。
何故か書きたくなったのが、心療内科Y医師。
どこでもそうでしょうが、初診予約がなかなか取れない。
再診は予約制ではなく、受付時間前から大行列。
優しい、親切、丁寧、解りやすい、薬の処方が的確、漢方専門医の診療も受けられる、地域で一番攻めてる心療内科……
いろんな評判を耳にしている。




そんな素晴らしいY医師のことを、何故このテーマで書こうと思ったのか?
それには母の救急搬送騒ぎが関与している。


心療内科の初診予約が取れたのは、偶々キャンセルが出た直後に私が初診希望の電話をかけたから。
タイミングがズレていたら、何ヶ月も先になる筈だった。
職場で身動きが取れなくなり、タクシーに乗り込ませてもらって早退した翌日が初診、何という幸運。



当初はクリニックの待合室でも発作を起こし、ベッドで待たせてもらったりするほどの身体症状があった。
症状が治まってはいないものの座って待てる程度になった頃から、認知行動療法の宿題(実際の事例ごとに考察)が出たり、答え合わせ?をするようになった。
自身の感情と向き合って言語化し、認知の癖に気づいていく。



宿題と言われれば頑張ってしまう性分、療養中なのに?
Y医師に成果?を話すと「それはちゃりれれさんの感情ではなく状況ですね」「もっと自分の感情と率直に向き合って、認めましょう」と言われる。
取り繕っているつもりはなく、良い人を演じようとしている訳ではない。
Y医師から「違う」「もっと」と言われる度に、「私はできていないんだ」と思うようになった。



Y医師と「合わない」とは思わない。
頭が良い人だと感じるけれど威圧感はないし、好感は持てるし、信頼している。
それなのに時々感じる違和感は何だろう?
更に強く感じたのが、前回の受診だった。

前回の心療内科受診⤵️

我慢発うつ病行きマガジン
以前の受診については休職編に書いてます
⤵️



「ちゃりれれさんなら、こういう言い方をしても理解できるでしょう」。
「ちゃりれれさんなら、この本をお貸してしても読み取れるでしょう」。
「ちゃりれれさんならお解りになると思いますが……」。
割りと初期の頃にY医師から言われた言葉。
うつ病で心身がヘロヘロの私にでも、「あなたならできる筈よ」と言ってくださることが、実は嬉しかった。



Y医師は、高齢者には高齢者向きに、若者には若者向きに、大人しい人には大人しい人向きに接するのだろう。
だから「優しい」と人気があるのだろう。
私には、「Y医師が想像する私」向きに接してくださっているのだろう。
生い立ち•家庭環境•職歴などの来し方や問診、もしかしたら受診中の姿勢や言葉遣いや態度から想像されたのかもしれない。



後に書く予定だけど、母も「やればできる筈」「本当はもっとできる筈」と私に高みを望み、そのままの私を認めようとはしなかった。
Y医師の「ちゃりれれさんなら」には、同じ香りを感じてしまった。



買い被られることが多い。
「本当は違う」と否定すると、「謙遜する謙虚な人だ」と更に買い被られる。
買い被られて自信になる人は良い。
大いに自信をつければ良い。
私は嬉しい反面、「そんなに取り繕っているように見えるのか?」と本来の自分とのギャップに不安になってしまう。



心療内科医だからといって、本質を見抜ける訳ではないことにはとうに気づいている。
それでも、「理想の私」ではなく「今の私」「ありのままの私」をそのまま受け止めてほしいと思う。
大きく揺らいだ心を、笑い飛ばしてくれるメンターがいるのは幸い。
M先生のことは近日、休職編に書くつもり。


デジタルハリウッド大学広告部分
(朝日新聞2024/3/14)
自分の人生だもんね、いい言葉だなぁ……
自分を生きてる修(仮名、長男)は
どうやらまた釣りに行くらしい🎣



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