母が失明するという話

今日、私の家族にとってショックな出来事があった。病院に通う母が医者から、もうすぐ失明すると告げられたのだ。余命宣告ならぬ失明宣告に、私も父も悲しみで言葉を失っている。

母はもともと糖尿病と心不全とバセドウ病という3つの疾病を患っていて、医者の的確な薬の処方のおかげで、心不全とバセドウ病の方はほぼ完治していた。しかし視力は歳のせいだと母本人が思い込んでいたせいで、眼病の発見が遅れてしまったのだと思う。

病名は黄斑という、お年寄りなら誰でも罹るよくある病気だ。しかし母の場合、黄斑が両目の瞳の真ん中に出来てしまったそうで、レーザー治療ができず、点滴などをしながらやがて完全に失明するのをただ待つばかり、だという。つまり、手の施しようがないと医師から告げられた。

お年寄りで視力を失う人は世の中、珍しくないだろう。ただ、我が家には一般世間と少し違うところがある。

私の妹は生まれた時から障碍者なのだ。今年で40歳になる妹は、産まれてこのかたずっと車椅子の生活をしてきたし、子供の頃は養護学校に通っていた。知恵も少し遅れているから、母がまもなく目が見えなくなることが、彼女には理解できない。

それが私にとって一番つらい。

今までnoteには家族の話を書いてこなかった。障碍者のいる家族の話はあまりにもプライベートな話題だし、家族の許可なくネットで世間に晒していいものか躊躇っていたからだ。けれど、今日書こうと思ったのは、そうしないと私自身がこの現実を直視することに耐えられないからだ。

今までは両親と私の3人で妹の面倒を看てきた。去年、母が倒れてからは、私が母の介護をし、妹は施設に入った。これまで母は自分の健康のケアは後回しにして、妹の面倒を人生の何よりも優先してきた。障碍者を抱えるたいていの親がそうであるように、自身の体の不調を騙し騙し生きてきて、倒れた時は手遅れに近い、という状態だった。

母がこの先さらに視力を失えば、私の介護はますます先の見えないものになるし、妹は母の変化を彼女の限られた理解力でどのように受け止めるのだろう。

今日一日、絶望の中に希望はあるのか、と考えていた。

そして辿り着いた希望はnoteだった。

私はこれまでずっとnoteに励まされてきた。そしてこれからもnoteに支えられていくのだろう。私が書いた小説「寿司ロールとサーケで乾杯!」の出版プロジェクトを発表したのもnoteだった。これは2040年の東京のレストランとフクシマの町を舞台にした近未来おもてなし小説だけれど、苦労して生きる家族の物語でもある。どんなにAIテクノロジーが発展した未来社会においても、生きづらさを抱えていたり、苦しい状況を抱えながら必死に生きる家族は存在するはずだ。今も未来もその部分は変わらないと思い、この作品を書いた。

今、母がこのような状況になって、改めてこの小説を読み返してみると、まるで私を励ますために書かれた作品のように思えてくる。自分が書いたものなのに、自分のために書かれたというのは、おかしな解釈だと自分でも思う。

来年の春の刊行を目標に、この小説の出版の準備を現在進めているが、母の失明を宣告されて、ますます頑張ろうと思った。小説のセルフ・パブリッシングなんて、しょせん意味がないと否定する世間の一部の声など撥ね退けてやろうと心に誓った。

刷り上がった本を母はおそらく読むことはできないだろう。だから私が枕もとでページを開き、一行一行ゆっくりと読み聞かせてあげたい。今はその思いを胸に、出版に向けて一歩ずつめげずに歩んでいきたい。


サポート頂いたお金はコラム執筆のための取材等に使わせて頂きます。ご支援のほどよろしくお願いいたします。