記事一覧
週末の通信大学は、普通の人じゃなくても大丈夫
昨日まで大学で授業だった。ハイデガーの『存在と時間』の精読。ぽんぽん喋った。ぽんぽん喋ってても変な感じにならなくて、楽しかった。
大人の人が多かった。わたしも全然大人の年齢だけど、もっと大人の人が多かった。低い声で話す男の人も多かった。
普通のふりしなくてもよかったのは、ずっと楽しくて夢中だったから。隙間、みたいなのがなくて、ぎゅっとした時間が、一個一個積み重なってて、次の瞬間もいっつも面白い
わたしを操縦してくれるキャラクター
著作『自閉症だったわたしへ』のなかで、ドナ・ウィリアムズは外部と関わる際に役割を果たす二つのキャラクターを、それぞれ「ウィリー」、「キャロル」と呼んでいる。学者肌で彼女の保護者でもあるウィリーと、社交的で人懐こいキャロル。ドナの二つのキャラクターは、外部との接触に始まり、最終的には適応のために、ドナの代わりにコミュニケーションの主導を握る。この状態を、ドナは自動運転、自動操縦などと呼んでいる。
お買い物と綺麗なもの
春の陽気は美しく、ぼんやり曇った空も大きくてやさしい。まだすこし肌寒い空気と弱い風が、瑞々しい新たな季節の始まりを予感する。だから、せっかくお買い物に出たときには、なにか綺麗なものの写真をとってくるようになった。
春のもとでは何もかも穏やかに息吹いて、夏の力強さともちがう浮き足立つ心地がする。今日は緑の葉っぱを撮った。中央から丸く小さな葉っぱが、五角形を描くように伸び、それらの層が重なって葉っぱ