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わたしを操縦してくれるキャラクター

著作『自閉症だったわたしへ』のなかで、ドナ・ウィリアムズは外部と関わる際に役割を果たす二つのキャラクターを、それぞれ「ウィリー」、「キャロル」と呼んでいる。学者肌で彼女の保護者でもあるウィリーと、社交的で人懐こいキャロル。ドナの二つのキャラクターは、外部との接触に始まり、最終的には適応のために、ドナの代わりにコミュニケーションの主導を握る。この状態を、ドナは自動運転、自動操縦などと呼んでいる。

わたしは一度、主治医へ全く同じ話をしたことがある。わたしは自分の状態を、自動運転モードとよぶ。

「仕事場へ行くと、自動運転モードになります。自分ではうまくコントロールできないんです。少し元気がなかったり疲れ切っていたとしても、消耗されていることは表現されない。全力で看護師モードが運転されて、家に帰ると何もなくなる。生活も無くなって、職場にいるときだけ生きているようになるんです。そういう状態に全く疲れ切ると、何日も眠り込まなければならなくなります。自動運転モードにはスリープ状態がないんです。シャットダウンか、運転し続けるかです」

わたしの自動操縦は、場所と結びついていると思う。上記の場合、職場である病院でのわたしのキャラクーについて述べていて、この時のわたしはそのキャラクターのスイッチが切れなくなっていた。その他どんな場でどのようなキャラクターがわたしを操縦して外部適応させてくれるのか、とりあえず主な二つのキャラクターについて説明をしようと思う。わたしの運転をしてくれるキャラクターたちに名前をつけたことはないけれど、今ここで名付けてみる。ドナのような独創性はない、簡素な名前で。

まずは仕事場で働くわたしをコントロールする、「ナース」というキャラクター。この「ナース」は以前、「アパレルスタッフ」であり「社会人経験のある看護学生」だった。彼女ははつらつとしており、物事を理論的に判断してはっきりと発言し、非常に責任感は強いが、決して他人に厳しく接することはなく、常に思いやりに溢れている。もう一つは、「みほちゃん」。これは主に仕事や学業以外の社交の場で活躍する。「みほちゃん」はわたしの小学校の同級生で、小学5年生と6年生で同じクラスだった。「みほちゃん」のキャラクターのもとになった彼女自身は、明るくて冗談が好きで、自分の好きな服と自分に似合う服がわかっていた。それから、決して女の子らしさを忘れなかった。「みほちゃん」には小学生以降様々なロールモデルが追加され、主なところで言えば高校の頃の同級生の「きほ」や、中学生の頃の同級生である「さくらこさん」が合体するなどしている。「ナース」は与えられた役割によって名前が変わるものの、一貫した性質を貫いている。「みほちゃん」はどんどんキメラ化しており、ころころ変化する。2つとも女性性のキャラクターであり、ドナのウィリーとキャロルのように、もともとその二人にすごく差があるわけではないけれど、「みほちゃん」と「ナース」は近頃かなり歩み寄ってきていている。10代の頃は「みほちゃん」しかいなくて、しかもいまよりすごく極端なキャラクターだった。20歳から22歳までにいたその他たくさんのキャラクターは、かなり特殊な様相だったので、今ここでは詳しく言わない。英語でしか話をしない「イングリッシュマン」とか、わたしを保護するために奇妙な役割をするキャラクターがもっといっぱいいた。22歳から「アパレルスタッフ」にはじまる社会的役割へ属する「ナース」ができた。

わたしを運転するこの「みほちゃん」と「ナース」のことを、わたしは嫌いではない。むしろ、ちょっと好きだ。あまりにわたしに主導権を返してくれず暴走するときは、すごく困り途方に暮れるけれど、それでもその暴走さえわたしを守るためにある。わたしはこの二人に守られてきたので、ある部分ではほとんど精神的に成長できていない。未だ足元に落ちているどんぐりをしゃがみ込んでじっと眺めるのが好きだし、冷たい岩にさわったり頬ずりしたりするのが楽しい。それでも、元気で安全なときは全てをふたりの自動操縦には任せず、わたし自身が外部と対応することも、3年前くらいからかなり増えてきた。

長くなってしまったので、続きはまた今度。

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