ASDのちゃきみん@無職

通信大学に通う学生です。哲学科専攻です。読書が好きです。無職です。 2021年にASD…

ASDのちゃきみん@無職

通信大学に通う学生です。哲学科専攻です。読書が好きです。無職です。 2021年にASDと診断されました。地味なところで熊みたいにうろうろしているASDの人が、どんなふうに生活しているのか、自分の考えや体験談から伝えたいです。

最近の記事

エビリファイは聴覚過敏によく効いていた

仕事をやめて一ヶ月。5月後半は薬を一つ減らしたせいで、まともに起きていられんくなる日が続いた。エビリファイという薬。入院した日から処方されて飲んでた。 いまいち効いているんだか効いていないんだかわからん薬だったのに、やめたらてきめんに音がうるさくなった。怖くて外に出られんくなった。怖くて怖くて、車の音のする道路のふちに立つだけで、涙が出てくる。病院で待つ間も、ばんばん涙が出てくるし、ついてきてくれたお母さんにもう帰ってええよって言いたいがに、ばんばん泣いてて何も言えんかった。

    • 週末の通信大学は、普通の人じゃなくても大丈夫

      昨日まで大学で授業だった。ハイデガーの『存在と時間』の精読。ぽんぽん喋った。ぽんぽん喋ってても変な感じにならなくて、楽しかった。 大人の人が多かった。わたしも全然大人の年齢だけど、もっと大人の人が多かった。低い声で話す男の人も多かった。 普通のふりしなくてもよかったのは、ずっと楽しくて夢中だったから。隙間、みたいなのがなくて、ぎゅっとした時間が、一個一個積み重なってて、次の瞬間もいっつも面白い。ハイデガーが話すことも、メルロ=ポンティが話すことも、ドレイファスが話すことも

      • ASDと診断された体験

        二年くらい前にASDと診断されて、「こりゃ、まいったね」と思った。 みんなが言うような、ほっとする気持ちもあった。ああ、努力じゃどうしようもないのね。でも、こりゃ、まいったね、とも思った。 私は努力の人って、自分のこと思ってた。だから、一所懸命に努力して普通に見えるようにしてて、そして、いつかその努力は実って、普通の人になるんだって思ってた。なんというか、努力しなくても、普通の人として過ごせる日が来るんだって思ってた。私の人生、普通の人になることが目標だった。けど、そういう結

        • 映画を見て泣くこと。その効用。

          映画を見ると、少し落ち着いて涙が出てくることがある。『ジョーブラックをよろしく』と、『インターステラー』が良い。 ジョーブラックはアンソニー・ホプキンス演じるお父さんに、長女が自分の思いを告白するところ。 お父さんが妹の方がフェイバリットだというのは知っていたと彼女は言う。でも私は私の愛情の示し方をつらぬくと、笑いながらちょっと泣く。 アンソニー・ホプキンスはなんとも言えない表情で彼女を抱きしめて、彼女が去った後は自嘲するような笑みを浮かべる。 インターステラーは最初のシ

        エビリファイは聴覚過敏によく効いていた

          戦争と歴史的感情資料

          戦争文学というカテゴライズがあるらしい。戦争文学という名前自体、ちょっとマッチョイズムを感じて無骨な感じで良い。アメリカのロストジェネレーションとか、そういうイメージ。でもわたしが戦争に関する小説として思い浮かべるのは、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』とトーマス・マンの『魔の山』だ。 先日久々にヘルマン・ヘッセの『デミアン』を読み返した。主人公は楽園であったような善を賛美して悪を否定する幼少期を去り、自身の中に確実に存在する「悪」に苦しみながら、統一された神らしい「アプラクサ

          戦争と歴史的感情資料

          わたしを操縦してくれるキャラクター

          著作『自閉症だったわたしへ』のなかで、ドナ・ウィリアムズは外部と関わる際に役割を果たす二つのキャラクターを、それぞれ「ウィリー」、「キャロル」と呼んでいる。学者肌で彼女の保護者でもあるウィリーと、社交的で人懐こいキャロル。ドナの二つのキャラクターは、外部との接触に始まり、最終的には適応のために、ドナの代わりにコミュニケーションの主導を握る。この状態を、ドナは自動運転、自動操縦などと呼んでいる。 わたしは一度、主治医へ全く同じ話をしたことがある。わたしは自分の状態を、自動運転

          わたしを操縦してくれるキャラクター

          火星の人類学者

          二週間前に、自閉症スペクトラム障害の診断を受けた。それから、激しい嵐みたいな二週間を過ごした。どちらかというと、今まで努力していた模倣を完全にやめてみて、自閉的な自分に閉じこもることが多かった。外部刺激への過剰反応も、気分が良い反復行動も抑えなかった。心地よく感じる一方で、外への接触がより一層不安で恐ろしくなってしまい、たった5分の会話だけで3日間寝込まなければならないこともあった。多幸感あふれる幼児がえりを終わりにして、再び調整していかなければならない時期だろう。 テンプ

          看護交流日記 脳神経外科から

          半々くらいのフィクション。 某月某日 夜勤中に同僚がフロアで一人話している。なんだ? と思って近づくと、あれ? という表情でこちらを見る。「バイタルはかったから報告してたんだけど、いま私の後ろにいたよね?」いや、私はいませんでしたよ。怖いよ。だれがいるの。無事に夜勤を終えたあと、13ベッドにいた人だったね、とこっそり同僚が耳打ちしてくれた。あの人か、何か気になる事があったのかしら、と急に怖くなくなる。 某月某日 なかなかお顔を覚えられない患者さんのトイレ介助する。トイ

          看護交流日記 脳神経外科から

          お父さんとお母さんから、1つずつ

          中学生にあがるまで、わたしの名前の由来は、なんとなく嘘というか、ごまかされていた。妹は気がついていたみたい。わたしの名前は、お父さんの名前から一文字、お母さんの名前から一文字、とってきた名前なのだ。 小学生の頃、名前の由来を作文に書く宿題が出たとき。お母さんに聞くと、家の前に川があって、その周りの木が綺麗だったから、と言われた。わたしは川を囲む美しい樹木を想像して、わーなんて素敵! なんて思った。幹の細い木が影の中をぬって、水流が耳に微かに感じられるような、静かで神秘的な景

          お父さんとお母さんから、1つずつ

          お買い物と綺麗なもの

          春の陽気は美しく、ぼんやり曇った空も大きくてやさしい。まだすこし肌寒い空気と弱い風が、瑞々しい新たな季節の始まりを予感する。だから、せっかくお買い物に出たときには、なにか綺麗なものの写真をとってくるようになった。 春のもとでは何もかも穏やかに息吹いて、夏の力強さともちがう浮き足立つ心地がする。今日は緑の葉っぱを撮った。中央から丸く小さな葉っぱが、五角形を描くように伸び、それらの層が重なって葉っぱというよりこじんまりした花みたい。きみどり色と、黄色と、下の方に行くとすこし霞ん

          お買い物と綺麗なもの