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その14 高1夏の手術

夏休み、私が入院したのは8月からだった。普段は打ちなれない注射で事前検査をし、前日に入院。形成外科の病室は大部屋で6人部屋。今みたいな感染時期ではなかったため特段区切られることもなくカーテンは全開、そこにいたのは足を骨折した年齢近い人、仕事で誤って指を電動機器で切ってしまった人、他は私よりも幼い子たちだった。
親と軽く挨拶をしては不安を紛らわすため歩いて回ったり屋上へ行ったみたりした。ただでさえ人見知りで気を使いすぎる性格なため最初は病室にいたくなかった。
その日最後の通常食を食べては消灯になる。夜行性なのと緊張もあって眠れない。怖い…どんな顔になるんだろう…よくなるかな…そんな期待と不安を抱きつつ朝を迎えた。
ご飯はもう食べれず飲み物もやがて制限された。手術室に行く前に肩に麻酔のもようなものを打たれる。そして車イスに乗せられいよいよ手術。お昼前くらいからであっただろうか。
自然と目が覚めた。頭がボーっとしてる。辺りは真っ暗で口は血の味がほのかにしている気持ち悪い。私が起きたことに気づいたのか手慣れた様子で看護婦さんが声をかけてくれる。その時夜になっていたようで手術も大分時間がかかったと後から聞いた。考えると腰骨をとりそれを鼻に移植し形成するから難儀なことだろう。しっかり固定された鼻、違和感のある感覚、目覚めは最悪だ。
数時間後やっとうがいすることができた。カラカラの喉を潤して吐き出されたのは血の気混じりの水。それがしばらく続いた。翌日だろうか、やっと大部屋に戻された私は腰骨をとっているため歩くことも難しく大人しくベッドに横たわっていた。そんな時に同じ病室の子が覗きこんできた。
「痛かった?大丈夫?」
不安そうに一人が聞いてきたから大丈夫だよと答えると他の子も寄ってきては話しかけてくれた。動けない私を気づかってか子どもの好奇心かはわからない。でもこんな幼い子たちも頑張ってる。痛々しく耳に包帯を巻いてる子や顔にガーゼを覆われてる子。私が弱音を吐いたら情けないと頑張るきっかけになった。そこから毎日の検診と車イス生活が1週間ほど続いたのだろうか。子どもたちや同じ病室の人とも打ち解け車イスを押してくれる。たくさん話しかけてくれて無邪気に走り回る彼らに私は元気をもらっていた。術後も良好だったが1つ嫌だなと思ったのは先生から
「男らしく立派な鼻にしといたからね」
と話されたことだ。潰れているよりかは数段いい。形がキレイなのももちろんいい。ただ男らしさは求めていなかったため微妙な気持ちだった。
足も次第に立てるようになったが最初は不安だった。立ち上がろうとすると立てないもどかしさにもう歩けないんじゃないかとネガティブになった。入院は2週間、その間母や姉もお見舞いにきてくれたり病室の人や看護婦さんたちのおかげでなんとか過ごせた。
そんな私の日課は屋上に行って外を眺めながら音楽を聴くことだった。
当時リリースされたばかりの
倖田來未さんの「Flower」、
ORANGE RANGEさんの「キズナ」
をよく聴いててそこに出てくる歌詞の
「一歩一歩ただ前へ〜」って歌詞に励まされたのを今でも覚えてる。
退院の日、まだ鼻にはガーゼがされ形を崩さないための入れ物も鼻に詰めていたが元気と欲求が有り余っていた私は次の日遊園地に行く約束を友だちとしていたのだが親にこっぴどく叱られおじゃんとなった。ガーゼして遊園地でジェットコースターなんて考えても危険かつバカな考えだと思ったがそれだけ元気になっていた。
私の入院生活は周りに支えられて乗り越えた。今どうしてるかな?元気にしてるかな?そんなことを思いつつ思い出した限り書いてみました。また思い出したら書いていきます。

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