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『滋賀の泣き虫』林優樹が渡され、託したバトン/高校野球ハイライト番外編・近江

土田龍空のドラフトは取材ネタの宝庫だった。と言っても、ほとんどが指名会見後の囲みで聞いた話。

『3年後の1軍定着』だった目標が答える度に上がり続け、いつしか『トリプルスリー』になっていたこと。付けたい背番号に現役選手の数字を答え、訂正するかと思ったら「譲ってもらいましょう」と言いきったこと。
最も記憶に残っている話は、指名直後にかかってきた先輩からの祝福電話に「お先に行ってきます!」と返したということ。この先輩こそ、土田の1学年上にあたる林優樹だった。

魔球・チェンジアップを駆使した投球で3度の甲子園出場を誇り、佐々木朗希らと18歳以下の日本代表も経験した小柄なサウスポー。高校3年時にプロ志望届を提出するも、獲得に名乗りを上げる球団はなかった。
同じ会見場で涙する林の映像を見ていただけに…土田から名前が出た瞬間、ほんの少し、時間が止まった気がした。

いま振り返ってみると、私が林をわかっていなかっただけかもしれない。
「滋賀のファンには『泣き虫の林』って思われているんじゃないですか」と本人が話すように、確かに高校時代の林は節目節目で泣いていた。
サヨナラ逆転2ランスクイズで敗れた後。3年夏の滋賀大会で優勝を決めた後。そして、ドラフト指名漏れ後の記者会見。
緩急を巧みに使い分ける投球スタイルとは180度違い、ひたすらに熱くて、まっすぐで、涙もろい。そんな姿を間近で見てきたからこそ、土田はあえて明るくバトンを渡したんだろう。
次は林さんの番ですよ、と。

2022年10月20日。西濃運輸の会見場に入ってきた林は、すでに目が真っ赤だった。東北楽天からのドラフト6位指名。
「きょう名前を呼ばれなかったら、野球を続けるかも考えた」と話すほどケガに苦しみ、もがき続けた社会人生活。努力が報われた安堵と、支えてくれた人への感謝がこみ上げる。高校時代とは全く違う林の涙を見た。

囲み取材で3年前の指名漏れ会見について聞くと、「自分のレベルが足りないのはわかっていたので悔しくなかった。高校野球を振り返っての涙です」と土田に負けないくらい強気に振り返った。
そう言えば、今回のドラフト前日には土田から電話をもらったそうだ。「『林さんなら大丈夫でしょ。プロの世界で待ってます』って言っていました」。改めて、近江高校の強さを思い知る。

先輩の北村恵吾も後輩の山田陽翔も、同じタイミングでプロへの扉を開いた。土田龍空から渡された蒼色のバトンをかつての相棒に託し、林優樹は仙台へ旅立つ。
「あいつなら大丈夫だと思います。次は待つ側ですけど…一緒に野球できたらいいな、って。そんな夢見てます」。
次は、有馬諒の番だ。

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