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古い街並みを歩こう

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#宿場町

421 京は遠ても十八里~都の食を支えた鯖街道を往く

421 京は遠ても十八里~都の食を支えた鯖街道を往く

北陸新幹線はこの春、敦賀まで延伸開業しました。
新幹線はその後、若狭地方の小浜市を経由したあと京都に向かう計画になっています。

その小浜市にやってきました。中心部の道路にこんな看板があります。
「鯖街道の起点」

その足元にもここが「鯖街道」の起点だと示す道標。京都はあちらと矢印が示されています。

「鯖街道」とは鯖の捕獲地である小浜から京に向かう道の総称です。奈良時代から御食(みけつ)国と呼ば

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たくさん歩く(妻籠宿2) #204

たくさん歩く(妻籠宿2) #204

前回からの続きです。

今回は短め記事です。

日本で最初に宿場町を保存しようという活動が始まった妻籠宿。

その町並みを引き続き歩いて確かめます。
と言っても、ただ歩いてるだけですけどね。

妻籠宿本陣。ここだけなら300円。

しかし、歴史資料館と脇本陣奥谷という建物も合わせると700円。
いいお値段なので悩んだ上で諦めました。😅

脇本陣と歴史資料館は600円。
脇の本陣の方が本陣より高い

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たくさん歩く(妻籠宿1) #203

たくさん歩く(妻籠宿1) #203

前回からの続きです。

天竜峡大橋のそらさんぽ天竜峡を渡って飯田線を見送った後は、阿智村の昼神温泉の脇を通ってはなもも街道と呼ばれる道をぐんぐんと登り進んでいきます。

途中、清内路というところを走り抜けたのですが、読み方が分からず、なんて読むのだろう?と思ったのと、とてもいい地名だなと思いました。

清々しい気分になれそう。
途中には漬物屋があって思わず寄りたくなりましたが、先を急ぎました。

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168 「関の山」発祥の地、三重・関宿へ

168 「関の山」発祥の地、三重・関宿へ

「関の山」という言葉を聞いたことがあると思います。
「あのチームはせいぜい準決勝くらいが関の山だ」。
一生懸命頑張ってもせいぜいこのぐらいが限界だ、と意味に使われます。

さて、じゃあなんでそれが「関の山」なんでしょうか。

その語源となる場所があります。

それがこの関宿(せきじゅく)。三重県亀山市にある旧東海道の宿場町です。

この関宿の祭りの際に出される山車(だし)(山車のことを「山」ともい

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146 熱田&桑名 海の街道七里の渡し

146 熱田&桑名 海の街道七里の渡し

東海道五十三次は江戸・日本橋から京都・三条大橋を結ぶ江戸時代の大街道です。

この街道は陸路で江戸と京都を結んでいたわけですが、途中、人区間だけ海路を渡る必要がありました。

それが名古屋市の熱田神宮の南にあった宮宿(みやじゅく)と伊勢国桑名宿の間。その間七里を海路で渡っていたことから「七里の渡し」と呼ばれていました。

低地が多く、海と川が複雑に入り組んでいたこの地域。佐屋宿を経由することで当時

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【日本全国写真紀行】20 三重県亀山市

【日本全国写真紀行】20 三重県亀山市

三重県亀山市

「さびしき城下町」という別称をもつ六万石の城下町 江戸時代、11代126年間続いた石川氏の城下町として歴史を重ねた亀山。天正十八年に築城された亀山城は三層の天守閣をもち、その優雅な姿が蝶の舞に似ていたことから粉蝶城とも呼ばれていた。多聞櫓や石垣の一部がわずかながら今も残っている。
 譜代大名六万石の城下町であった亀山だが、“市中はまったくにぎわいなし”と伝えられている。宿の規模が小

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