見出し画像

人間は、加速度が怖く、定速度はつまらなく、停止は恥ずかしい|エッセイ



加速度は怖い

加速度とは、速度が変化する割合のこと。
ある瞬間の速度に比べて、次の瞬間の速度が増えたり減ったりすることである。

乱気流に入った飛行機。
落下にお尻がソクッとしたかと思えば、上昇に体が圧迫される連続。
旅慣れた人でも怖いはずである。

知らない人が突然こちらに向かって走り出す。
危険を感じるのが通常である。
知っている人であっても、その背後に何かしらの危険が潜んでいると感じるのではないだろうか。

正対する人の穏やかな表情に怒りの色が浮かぶ。
原因に心当たりが有れば狼狽える。
無ければ恐怖である。

加速度は怖い。
これは動物の本能として、危険を察知する為のものであろう。


安全を確信できれば加速度は娯楽

ジェットコースターは加速度を体感する娯楽である。
何故、娯楽として成立するのか。

ひとつは、加速度の発生予定が目視できることが大きい。
ただし、この観点で視界を奪うことにより娯楽性を高めたものもあるから、これだけでは十分でない。

もうひとつは、同じコースを周回する様を眺めてから乗れることである。
目の前で多くの成功事例を確認してから臨めるのである。

これらは、論理的な根拠にはなり得ないが、心情的に安全を確信させてくれるのである。


加速度は好ましくない

エンジンやモーターといった動力源は、加速時に多くのエネルギーを消費し、減速時には動力を熱に変えて大気へ捨てる。
自動車の場合、加減速の多い運転が燃料や電気量の消費を多くすることは良く知られている。

景気が加速すれば生産活動が追いつかずにインフレを招き、減速すれば設備や人員が余剰となりデフレを招く。
経済活動が危うくなる。
景気が急減速すると『〇〇ショック』という表現がしばしば使われるが、その名の通り、衝撃である。

車は同じ速度で運転している時が燃料や電気量の消費が最も少ないし、経済も同じ速度で成長している時が最も安定する。
移動の目的が無いのなら、車は止まっていても良い。
経済は、後退するとしても同じ速度であれば対応も可能であろう。

加速度、とりわけ短期間の速度変化は、多くのモノにとって好ましくないのである。


加速度が生じると考えもしない

定速で動いていたエスカレーターが不意に停止すると、つんのめって転倒しかねない。
そもそも止まると思っていないのだ。

科学技術の発展により、現代人は多くのことを定常または定速にコントロールできる環境を得ている。
だからこそ速度変化を想定しない。

更には、小さいけれど持続的な速度変化があっても気付けない。
半ば加速度の怖さを忘れてしまっている。
これは致命的な退化かも知れない。


高速度を好む

定速度は扱いやすい。

中でも高速度が好まれる。
仕事なら処理量が多くなるし、移動なら距離が増える。

職場でなら、高速度の人は "できる人" とされ、低速度の人は "できない人" とされるのではないか。
一方で、加速度を持つ人は "危険な人" として扱われるのかも知れない。


定速度はつまらなくなる

定速度は扱いやすいから、慣れやすい。
定速度は、速度と同様に周囲の評価も変化しない。

定速度はつまらなくなる。

スポーツや各種習い事には、基礎の反復練習が欠かせない。
定速度の代表例である。
基礎が身に付くと、多くの人が実践に重点を置くようになる。
つまらないし、減速するとも思わないのである。


人は予定された加速度を待ちわびる

人は加速度に弱い一方で、定速度をつまらないと感じる。
だから、ジェットコースターの乗車列に並ぶように、予定された加速度を待ちわびる。


人は停止を劣っていると感じる

人は、定速度で動いていることを要求し合う。
"現役" という言葉は、定速度で動いていることに等しい。
加速度を持って動いている場合は、"安定していない" という評価が付く。

停止を劣っていると感じる。
立派に働き、第一線を引退していても、無趣味であれば停止しているのである。
ボランティアをしていなければ停止しているのである。

不本意であったり、意図しない停止には、"休養" という名称を与える。
これには暗黙の期限があって、それを過ぎると停止と判定される。


カリスマは、加速度を自在に操り、そして我儘に停止する

カリスマと呼ばれる人が居る。
彼らは加速度を自在に操り、そして我儘に停止するのだ。

停止が入らないといけない。
加速度を操るだけでは駄目だ。
人間的な魅力が生じない。

ただし定速度では居られない。
こんなことを全員が行ったら社会は成立しない。


カリスマを超える

生きていれば人と比べられたり、誤解されたりと心が忙しい。
それが面倒だと言って周囲と距離を取ることもあるかも知れない。

カリスマを超えられるとすれば、それは定速度に対する同調圧力から解放される時ではないだろうか。

自分にしっくりと来る加速度、速度、停止の配分を探るのが人生と言うこともできる。
自分で自分を気持ち良く運転してあげるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?