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伊藤緑
2019年9月11日 15:20
一 出産というものに初めて違和感を覚えたのは、私が中学生の頃でした。あなたが産まれたときです。 風が吹けば田んぼに緑の波が立ち、昼間は蝉の声が、夜はクビキリギスの声がする、そんな夏のことです。当時二十代後半だった叔母が、元気な赤ちゃんを、あなたを産み、私の家にやってきたんです。 あなたを抱く叔母と、その隣に立つ旦那さん、叔母より一回り年上の私の父、そして母。大人たちはみんな破顔していまし
2024年7月3日 22:30
青春とはなんなのか、よく分かりませんでした。ずっと。「甘いのどれ買う?」 昨日、学校のそばのコンビニの前の、交差点にある赤い目と見つめ合っていたら、後ろから高い声が二つ三つ聞こえてきました。うつむいて、足のすっかり隠れている制服の長いスカートを見つめながら、心のなかでつぶやきました。どらやきがいいなって。その声がひどく低く感じて、地面がゆれているような気さえして、私はリュックから一冊の本
2019年9月11日 13:53
目が合えば、スーツを着た女の人は足早に去っていった。雨足が強くなっていく。公園の芝は水を吸い、街灯の白い光で淡くきらめいていた。ベンチに腰掛けたまま上げていた顔を下ろしたら、胸がひざにくっついて。重たい頭。こみ上げてくる胃液。また吐いた。吐いて、雨に濡れた手の甲で口元を拭えば、肌がぬるり。口からアルコールが蒸発していくような気がした。 ちらつく。こずえの下に溶けていった黒い背中が。彼女の手に
2019年10月13日 12:24
くもり空の下で裸足になって、波打ち際に立ち、一歩踏み出そうとしたときでした。紙が何枚も飛んできたんです。舞って、舞って、潮に落ちて。色が、形が、変わっていきます。 灰色の水がしゃぶっていたのは、原稿用紙でした。赤い格子が、暗い水面を淡く彩って。捕らわれていた黒い文字が、じんわりとにじんで。溶けていきます。腰を曲げ、足首に絡まった一枚を拾い上げたら、水に噛みつかれて。破れて、ちぎれて。白波に呑
2024年6月17日 23:30
命という名の病を意図的にうつされて、いったいどれほどの時間が流れたでしょう。老いという症状は悪化する一方です。水面が鏡が、それを気まずそうに教えてくれます。ほかの命を貪りどうにかそれを遅らせようと、抑え込もうとしても、私はその病状から逃れられない。 よく熱を出します。皮膚が荒れたり赤くなったり、できものに間借りされたり。咳が止まらなくなったり目がかすんだり。お腹が暴れたり関節が喚いたり。息が
2024年6月24日 17:30
「なんで産んだの」 従妹が家でそう呟きながら泣いてしまったと、叔母が私の母に相談していたのをこの前見かけた。正確には、仕事から帰ってきたときにリビングで電話しているのを盗み聞いてしまった。 叔母とうちの母はとても仲が良くて、家も近いほうだった。そういうこともあって、従妹が幼い頃からよく遊んでいた。従妹とは結構年齢が離れていて、私は就職してそれなり、従妹のほうは高校一年生。どちらかといえば昔
2024年6月15日 21:00
生まれてきてしまった。この「しまった」という隣人から決して逃れられないあなたへ、僕はこの文章を書くつもりです。 命というのは押しつけられたものです。くれと頼んだ覚えも、くださいと懇願した記憶もなければ、自らの意志でここまで歩いてきたわけでもありません。気付けばここにいた。そうして、様々な形で生の肯定を強制されている。僕たちは生きることを賛美しなければならないという現実に突き落とされてしまっ
2024年6月20日 20:00
言葉を書くたびに私は孤独になっていきます。孤立していきます。 人の言葉を読むと、みんな生きているように見えます。そうして私だけが生きていないような気がしてきます。馬鹿みたいと思われるかもしれませんが、中二かよと嗤われてしまうかもしれませんが、この実感からは逃れられないです。 私にできることは何もないので、生活さえろくにできないので、唯一できることである言葉を書いて日々ひっそりと呼吸してい
2022年6月20日 23:33
男らしく、女らしく。そういった言葉が枯れて、色が暗くなっていく隣で、引っこ抜かれていくそばで、こんな言葉が花を咲かせています。日を浴びて、与えられた水を弾いて、きらきら瞬いているんです。 人間らしく、自分らしく、あなたらしく。 でも、その色も葉の形も、脇で朽ちている花唇のそれと同じだって、私は思うんです。 男らしく、女らしくの花言葉でパッと思いつくのは、抑圧、制限、規範、重圧、規定で
2021年11月20日 16:31
描かれた世界観によって、目の前はすっかり覆い尽くされています。それどころか、その世界観に合致しない存在は、そこにいると世界観を破ってしまう存在は、レッテルを貼られ、場所によっては狩られています。 見ない聞かない考えない。あったとしてもつもりだけ。願望や希望、明るさで塗りたくりながら眺めることを見るとは言わない。聞きたいことだけに、やまびこだけに耳を傾けることを聞くとは言わない。心地よい意見や
2021年11月7日 16:07
ありのままの自分で、あなたでいいって、優しそうな顔は言います。けれど、ありのままの自分って、いったいなんですか。 たとえば今この瞬間、私がありのままの自分でいることを選んだとして、それは本当にありのままでしょうか。私という人間は、あふれている価値観や考え方、文化に思想に社会に、親に他人によって既に汚染されています。無数の言葉を、概念を、見方を、稲みたく植えつけられているんです。品種改良をした
2021年5月11日 00:30
「なんで母の日に何もしないの?」 そんなニュアンスの言葉に、これまで何度か触れてきました。そのたびに思うのは、祝うことが、感謝することが、どういうわけか義務になっているということです。 お花とかお食事とかお手紙とか、別に何でもいいけれど、とにかくそういったものを通して謝意を伝えなければならない。そういう日になってしまっています。 でも感謝は義務じゃありません。子は母親に感謝すべきだ、み
2020年10月18日 19:22
歌詞を書いてほしいって、そう言われたことがありました。 無理かなぁって返事を送って、そうしてお風呂から上がってきたら、その子から通話がきていて。出たら、お願いって、まじめな声がにじんできました。 私は渋りました。そもそも音楽なんてものに縁なんてなかったからです。私は音痴でした。カラオケで言えば、六十点台前半がやっとです。「なんで私なん?」 そう問わずにはいられませんでした。私はた
2021年8月21日 17:10
頭いいねって、いろんな子に言われてきた。それが本心なのかお世辞なのか、あるいはバカにしてるのか皮肉なのか、そんなのは正直どうでもいい。私は、頭がいいっていう表現それ自体がたまらなく嫌いで、怖い。 私は、頭のよさのレベルを自分で選んで生まれてきたわけじゃない。だから、お前ブスなと言われているのと本質的には変わらない。褒めていようが貶していようが、そのどちらのつもりであったって、自分で選んだわけ