初めての友達は半世紀以上前からやってきた

 青春とはなんなのか、よく分かりませんでした。ずっと。

「甘いのどれ買う?」

 昨日、学校のそばのコンビニの前の、交差点にある赤い目と見つめ合っていたら、後ろから高い声が二つ三つ聞こえてきました。うつむいて、足のすっかり隠れている制服の長いスカートを見つめながら、心のなかでつぶやきました。どらやきがいいなって。その声がひどく低く感じて、地面がゆれているような気さえして、私はリュックから一冊の本を取り出して、ぎゅっと抱くように胸に押し当てました。私が生まれる何十年も前の本です。死んでしまった人の本です。絶版で、きっともう誰も読んでいない、私しか知らないような、そんな本です。すっかり焼けています。文字もところどころかすんでいます。カビ臭いです。

 私にはあの子たちの、みんなの気持ちがよく分かりませんでした。どうして笑って生きていけるんでしょう。なにがそんなに楽しくて面白いんでしょう。命とはそんなにも愉快なものなんでしょうか。

 どうせ死んでしまうのに。

 なにをしていても常にそんな、小さな笑い声が聞こえてきます。

 私には周りの人たちがなにを言っているのかよく理解できませんでした。夢とか青春とか自分らしさとか、そういった言葉が私には少しも輝いているようには見えませんでした。幸せなんかも一緒です。そんなものに向かってどうして走っていけるのか。なんで同じようなフォームで同じようなコースを整然と駆けていけるのか。私にはまったく分かりませんでした。

 そうです。なにひとつ分からないんです。共感できないんです。私はずっとひとりぼっちでした。どんな人の声も、周りにあるどんな言葉も、ひどく遠いもののように感じていました。でもこの汚れた本のなかの言葉には、怖いくらいの親しみを感じました。ここに書かれてあるのは疎外感です。孤立です。私はそのとき、自分もまたすべてから弾き出されていることに気付いてしまいました。

 この本はタイムマシンです。私のいる時代まで、私のことをよく知る人の言葉を連れてきてくれました。私は嬉しかった。本当に嬉しくて、この本を抱き締めて眠ったことさえありました。臭くて顔をしかめている自分に気付いたとき、私は素直に笑えました。だから嬉しい。嬉しくて悲しい。この言葉を書いた人は、とっくの昔に死んでしまっているんですから。

 私はこの人のことをとてもよく知っていて、この人もまた私のことを本当によく知ってくれています。なのにこの人はもういない。初めてできた友達は、初めて親友だと思えた人は、出逢ったその瞬間に亡くなってしまったんです。それが本当に苦しい。私はひとりです。前にいる人、後ろにいる人、右に左にいる人と、私は少しもなじめない。分かっているふりしかできないんです。

 この人のように、いずれ自分も死んでしまう。そんなことばかり考えてしまいます。怖くて悲しい。そうしてもうひとつ悲しいのは、私がこの人のように言葉を書けないことです。この人のように、死後、友達のところまで会いに行ってあげられないことです。

                               (了)

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