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ラジオから初デートの「あさくま」のお店の名前が流れてきた夜、彼の言葉に再会していた。

たとえば、はじめて行った場所って

案外覚えているようで覚えていない

ものだけど。

そういうことが、ひょんなことから

蘇るってことある。

○○君とはじめてのデートで行った場所

みたいな感じで思い出せるのはたった

ひとつしかないと思っていた。

安上がりだったので、最初のデートは

屋台のおでん屋さんだったことがある

けれど。

⇊こちらがそうです。

これはほんとうにクレジットカード会社の

CМを真似るなら、屋台のおじさんとは

ほんとうに「プライスレス」な出会いを

したと思う。

年齢を重ねるとこういう出会いはとても

自分だけの宝物になってゆく。

そして最初のデート場所覚えてるか?問題。

これはつきあった経験ひとより少なめの

わたしでも最初って言われると、記憶が

あやふやよねって思っていたら。

この間突然に、思い出してびっくりした。

それは、わたしも8月にお招きいただいた

ことのあるみずのけいすけさんがパーソナリティを

つとめていらっしゃる素敵なトーク番組

「こたつラジオ」での出来事だった。


こちらが、おめでたい2周年記念だったので、

この8月の最終土曜日は6時間ぶっちぎりという

ダイナミックな構成になっていた。

おおお!

6時間ってすごい。

学校なら授業のほとんどをクリアした状態だ。

そして、わたしも時間の許す限りを聞かせて

頂いていた。

ちょうど、おやつ食べたたいな甘々の

メープルシロップどばっとかかった

なにかを食べたいよって思っていた

午後3時あたりになった頃のことで。

ラブ/ラブソルさんがゲスト出演されていた。



ご当地である愛知で人気のお店が、

話題になっていた。

このお店はみずのさんもお話しされて

いたことが以前あった。

ふたたびふいに聞こえてくる4文字。

彼女達が絶賛されていたステーキ屋さん

『あさくま』のことだ。

それは最初わたしの耳を掠めた時

あさくま、←ぐらいのこれぐらい静かな

親しさだった。

しずかに、あさくま。

でも何度も聞いているうちにそれは

あさくま。


ぐらいの距離感になりやがて、じぶんでも

鳥肌がたったのだけどそれはもう脳内では


あさくま‼


ぐらいのスケールで夏の荒野を記憶が駆け巡る

ような気持が迫ってきた。

いや、もうその記憶はわたしのものだった。

行ったことあるよ、あさくま。

って倒置法で言いたいぐらいにきゅんと

していた。

行ったよ、初デートであさくまって心の中で

畳みかけていた。

ぜんぶ盛り「あさくま」

そうそうこんな感じだった。

あの頃はバイト代を彼がためてくれて

ここに連れて行ってくれた。

一口食べてから最後まで飽きなくて

またここ来たいって言った会話も覚えてる。

そしてラブソルさんからこのステーキハウスの

ことを聞いた夜、わたしはウエブ上で

あさくまハンティングをしていた。

愛知など東海地方でも展開していて

かつては関西や京都にもあったって

書いてあった。

そうよそうなのよ。

関西にもあったんよって。

わたしが行ったのは川西だったのかな。

場所だけは不明だけどそこは確かに

「あさくま」だった。

彼があさくまの社長さんの名前の由来を

身体がでっかくてくまさんなんやてって

教えてくれたから覚えていたのだ。

このあさくまサーチングどれぐらいしただろう。

かなり徹夜して、あさくま漬けになっていた。

そしてしばらくしたら落ち着いてきて。

彼と同じ大学に通っていた頃のなにかを

みつけてみたくなった。

ロフトに行けばあの頃の成果物がみつかる

かもしれないなって、屋根裏の散歩者の

ごとく階段を上っていた。

そしたら文藝学科だった仲間たちの「文集」が

出てきたのだ。


これは彼が所属していたサークルの文集。

数名の仲間だった人たちを彼に紹介して

もらったこともある。

ページをめくると彼や彼の友達たちの

名前と再会してちょっとほろっとした。

そしてわたしもページの埋め草として詩を

寄稿していた。

恥ずかしい若書きだった。

見なかったことにしたかった。

そうしよう。

うってかわって、彼らの文章に触れていたら、

なんかざわざわとしてきてほんまに

あの頃みんななにかに絶えず不安を感じ、

キャンパスをあやふやな心を抱えながら

歩いていた様子が目に浮かぶようだった。

文集の裏表紙。


この文集のタイトルになっている「タラッタ」は

ギリシャ神話の女神の名前で、詩人のホメロスの

作品の中の言葉だと裏表紙が教えてくれていた。

「タラッタ」は歓喜の時に発する言葉らしい

ことも記されていた。

独白するかのように、ひとり部屋に佇んでいる時に

なにか「満たされない」ものを感じると綴られて

いた。

彼のひみつに今になって触れた気がする。

大学に希望をもって入学したはずなのに。

あの夢見た季節はどこにいってしまったん

だろうと。

そして通学の時に感じる「ユウウツ」は

なんだろうと。

わたしはほとんど揺さぶられていた。

この文章に思いがけなく出会ったことに

あの頃若かった彼とわたしたちが、そこに

いるようで。

またその思い「ユウウツ」は時に今も味わう

感情なので、なにかあの頃のわたしたちに

声を掛けたいような気持にもなっていた。

年とっても、「ユウウツ」はあるでって。

でも、あの頃の「ユウウツ」があるから

今の憂鬱も乗り越えられるんやでって。

裏表紙でさらに彼は言葉を畳みかける。

失われてしまうかもしれないこの不安。

何かが逃げてゆくと書きながら何が逃げて

ゆくんだと自問自答している。

満たせないものがなにかがわからないから

そしてこの焦燥感をなんとかしたいから

ぼくたちは「文集」を発刊したのだと。

そして「タラッタ」は歓喜の時に叫ぶ言葉

なので、ぼくなら今どう叫ぶんだろうと

結ばれていた。

あかん、なんかあかん熱いものが

こみ上げてきた。

あの初デートのあさくまからこの文集に

辿りつくとは思ってもみなかった。

彼らとはもう今はあえなくなってしまった

ので、今どうしているのかわからない。

でもこの「文集」を彼らが発刊した時の

想いを今知ることは、「書く」ことを

いまだ続けているわたしにとっての

過去からの彼らからの贈りもののように

届いていた。

【ありがとうこたつラジオさん、みずのけいすけさん
ラブソルさん、あさくまさん、かつて仲良くしてく
れた大学時代のみなさん。そして今この文字を追って
くださっているみなさん、ありがとう】



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