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noteを書いて、父と再会した2022年。#振り返りnote

もうこんな季節になってしまった。

noteにいると、季節の速度がたちまち

加速度的にすぎてゆくけれど。

書くことしかできないわたしは

noteで今夜も書いている。

note歴2年半になるけれど。

今年はnoteを通して書き続けてきた

心に変化があった。

憎んでゆらがないとた感じていたはずの

気持ちがゆらいでほどけた年だった。

きっかけは、noteのお題だったと思う。

あなたの本棚を教えてくださいという

企画。

#わたしの本棚 だった。

お題に参加するためにわたしの本棚って

どんなもんだろうと思っていたら

そこはよく見ていると、じぶんが買った

わけじゃない本がかなりの圧でそこに

堂々とポジションを得ていた。

なん?

そう、これは父からの贈り物の本だった。

父と母は離婚していたので、父とは離れて

暮らしていたけれど。

離婚する前年からクリスマスには

本を贈ってくれていた父。

その翌年、おなじようにクリスマスに

本が贈られてきた。

そしてその翌年のクリスマスも。

そうやって時間を積み重ねていので、

その本でひとつの本棚が作れるほどに

なっていた。

そのことを記したのが⇩の記事だった。



最初に贈られてきた本、『おかしな家族』には

こんな言葉があった。

もし君たちのお父さん、お母さんが不幸にしても
本当の大人になってしまったのならば、二人を教育し
本を読むことを教えてあげよう。それともう一つ。
もし、この本の色が気に入らないならば、君の色鉛筆で
好きなように塗りたまえ。―――遠慮はいらない。

ジャン・コクトー『おかしな家族』より



わたしたちは「おかしな家族」だったのかも

しれない。

最初はこの本のタイトルを見た時にちょっと

自虐的だよって母と笑ってしまったのだけど。

今年になってもういちど読み直しながら

このコクトーの言葉に託したい父の想いが

今になって伝わってきた。

本が贈られてきた頃、わたしはそのことを

受け入れられなくて、そこに必ず添えられて

いる手紙をまっすぐに読むことは

できなかった。

そこには父の反省の言葉とわたしへの

励ましが綴られていたのだけど。

売れない歌人としてうろうろしていた

わたしはほんとうにやさぐれていた

こころのまま、父の手紙に通り一遍の

返事を電話でするぐらいだった。

そしてわたしが日々苛まれている原因は

この手紙にあるのではないだろうかと

その手紙をほんとうに冷酷なのだけど

捨ててしまった。

そのこともnoteに記したことがある。

去年のことだ。

そして、わたしはnoteをこんなふうに

父への思いを洗い出しながら綴る場所

にする気持ちはなかったのだけれど。

気持を言葉に翻訳しているうちに

じぶんの内面の傷をいやすかのように

noteを書いていた。


そして父と再会する機会が訪れた。

その時、わたしは父と母とがずっと

仲たがいしていることもどこかで

霧の中のようで落ち着かなかった。

そして母に、切り出してみる。

久しぶりに父と会わない? って。

母は父との仲たがいしていたことも

どこかで忘れていて、それはあっさり

遂行された。

父と母も久しぶり過ぎるほどの

再会は、昔そうしていたように

ただいま、お帰り。の挨拶と同じ

熱でもって交わされていた。

それは思いがけず幼かった頃、

わたしの記憶にもないぐらいの小さい

時の想いを知る機会にもなっていて。

わたしにとってそれは、やっと

家族になったような気持を運んでくれる

再会だった。



こんなふうにnoteを書き続けてきた

ことで、心の修復のようなものを

していたのかもしれない。

書くって治療だったのだとわたしは

思う。

以前、ほぼ日の糸井重里さんの言葉で

こんなことを読んだことがある。

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。

アメリカ合衆国の哲学者・心理学者のウィリアム・ジェームズの言葉


この言葉を読んだときは正直じぶんには

とても遠い言葉だった。

まず心が変わることがどれだけ

むづかしいのかわかっていたし。

信じることや許すことがわたしのなかでは

課題すぎるほどの課題でもあった。

許すは、どこか自分が優位に立っている

ようで落ち着かないけれど。

これを受け入れられると訳すれば

わたしも少しほんの少しは近づけた

気がする。

そしてnoteを日々続けることで

ウイリアムス・ジェームズのあの言葉で

いうといまは、ようやく第二段階なの

かもしれない。

行動が変われば習慣が変わる。

父にはあの日捨ててしまった手紙のことは

言ってないけれど。

できたら、わたしから父に手紙をだしたいと

思っている。

今は、再会していた日に父が読んでいた

小川洋子さんの『ことり』の感想文を

手紙を少しずつ綴っているところ。

父が読んでいる本と同じ本を読んで

感想文を書くことを父へのわび状の

ように書いていきたい。


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