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ごめんなさいを、言わなかった。

これは自分のために書いているのかも

しれない。

きっと自分が楽になるために。

そうすることがいいことなのか

どうなのかわからない。

SNS的でなにかを書くということ

その向こうに誰かが読んでいる

ということにまだ不慣れなのかも

しれない。

とりわけ家族について書くことは

なんども自問してしまう。

人はいつか記憶を失うものだし。

そばで暮らしている大切な人が

覚えてほしいことを忘れてしまう

ことに今年からずっと直面している。

時々、記憶が揺らぐから、その揺らぎに

戸惑っているわたしが声を荒げて

しまうこともあった。

もともとやさしさを兼ね備えていない

わたしはこういうことに直面した時に

じぶんを守ろうとして相手を攻撃して

しまう。

ある場所に行く日付のことを

忘れないでほしいと思っいた。

でも、母は違ってた。

その時母は、わたしをじっと見て言った。

覚えてしまってるもの仕方ないでしょ、と

声を荒げた。

だめだ。

この声に聞き覚えがある。

っていうかこのやりとりに

既視感があった。

小さい頃わたしが勉強をすることを

嫌がって、覚えるものも覚えない時に

母がどうしてわからないの?

覚えられないの? って。

叱られたあの頃の再放送をみている。

そしてわたしがのらりくらりと

していると、母の怒りがマックスに

達して声を荒げる。

でも「ごめんなさい」ってわたしは

言えなかった。

もし言ってしまったら、母のことを一生

こわがりそうで、そのことのほうが

こわくて言わなかった。

母もごめんなさいをわたしに

要求してるわけではなかった。

ちいさなわたしはいつかできたら

母と仲良くしたかったのだ。

そしてそれからずっと未来の今。

母が覚えてほしいことを責めて

しまった時に母はこう言った。

(まちがったほうを)覚えてしまって

いるんだから仕方ないという言葉で

リアクションしていた。

あ。

ってちょっと救われた。  

ある種の修羅場なのに、その言葉に違う

視点を指し示された気持ちがした。

忘れてしまうということにフォーカス

していたのはわたしで。

母は「(まちがったほうを)覚えてしまう」

という感じ方なんだなって思って。

忘れると覚えるの間はすごい真逆の

ことじゃなくてふたつでひとつの

世界なのだと思う。

表裏一体似通ったものなのだ。

どちらかがなければその一方は

成立しない。

どっちに光があたるかの問題なのだと。

ちょっとだけ気持ちが和らいだ。

風通しが良くなった気もしていた。

それと、

忘れててごめんって言わないことに

母が言わなかったことにも、どこかで

安心していた。

ごめんは傷つくから嫌い。

ごめんは大事な言葉だけど。

言う方も言われたほうも傷つく。

そんなこんな日常をすごしながら。

気持ちがマックスに沈んでいたとき誰に

言うでもなくTwitterにつぶやいた。

そのあとで、わたしのことを

noteで最初からみてくれている一番初めに

フォローしてくれただいすきなTちゃんが、

すぐにDМをくれた。

その時、Tちゃんは経験を語りながら

「衰えを悲しみにしてはいけないなって

思ったんです」

という言葉を贈ってくれた。

あ、ほんとうにそうなのだ。

誰もが衰えるし、老いるのだ。

衰えるとは、思い直せば。

共に過ごした時間だと想えば

愛おしいなぁって。

彼女にもらった言葉は今もわたしを

支えてくれている。

お守りの言葉になった。

いつも読むことで支えてくれている

彼女の言葉はこれから先も忘れない

だろうなって思う。

先週、気持ちを変えて見たくて

母とふたりでユリを選んだ。


つぼみだったユリさんが



ほころんだ

ふたりで眺めていた。

母が言う。

生きているものが家の中にあるって

気持も元気になれるからいいねって。

夜になるととても濃い甘い匂いが

廊下中に放たれる。

その時わたしは、あ、いるなって思う。

そして

花の匂いは花の声だなって思う。

わたしはこれほど、花のことを

力強く感じたことはなかった。

ふとひっそりとした二人暮らしに

ひとり増えて、いましばらくは

三人で暮らしているような

そんな気がしていた。

はかなさを みつめるまなこ ささやかすぎて
あめつちに 種がこぼれる 祈りのように


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