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在野の言語学徒。文法論。カレー哲学。

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甘口に関する覚書:甘いの多義性あるいは重松清『カレーライス』論

本稿は阪大カレー愛好会会誌『基礎・カレー探究』に掲載した論考を一部加筆修正したものです。(Twitter @handaicurry) 〜〜〜  カレーの辛さを表す言葉の一つとして「甘口」という表現がある。なんの変哲もない表現だと思われるかもしれないが、少し考えてみると甘口という言葉はやや奇妙である。カレーが甘いとはいったいどういうことであろう、と考え始めるとどんどん分からなくなるからである。  「甘い」というのは一般に多義語である。「ぜんざいは甘い」「砂糖を入れると甘く

    • 意味の世界を生きる

      本稿は筆者のこれまでのカレー概念に関する議論を見つめ直すものである。 ⚪︎概念の横領問題 ホワイトカラーの精神性を内面化することで社会との摩擦係数を減らすべく、私は仕事ができるようになるための精神論を教えてくれる動画の視聴や研修への参加に余念がない。研修の講師らは 「それは課題ではなく問題である」 「営業ではなく、コンサルだ」 といったメタ言語否定を多用している。先日、参加した研修の講師は次のようにも言っていた。 「課題と問題の違いについて話し始めたら午後の時間が全部潰

      • 旅のしおりを編纂することの意味

        カレー愛好会会員諸君へ  弊会は毎年、夏合宿と称した小旅行を実施している。旅行に先立って会員全員に寄稿を募り「旅のしおり」を作成することが慣習であるが、近年複数の会員からしおりの作成に関して「実際の旅行よりも時間的リソースがかかっている」「担当箇所を書いただけで満足感が得られてしまい、かえって旅行への意欲が削がれる」といった否定的な声も聞かれるようになり閉口している。  しおりは歴史編、地理編、食文化編、小説編から構成され、毎年、鋭い洞察、奔放な思索に富み、文学的、学術的

        • からかい上手の高木さんが使う終助詞「や」についての考察

          1.高木さんの可愛らしい「や」 先日、待ちに待った『からかい上手の高木さん19巻』(2023年3月10日発売)が届いた。 『からかい上手の高木さん』のヒロイン高木さんは語尾に印象的でかわいらしい「や」を使うことで知られているが、特に最新巻の19巻では高木さんの終助詞「や」を6例も見ることができ、ファンとしては大満足であった。 また、作品がすすむにつれ「や」の出現する頻度が徐々に高くなっている気がしたため、この度、単行本1巻~19巻と劇場版特典の映画巻のすべてに目を通し、高

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        • カレーの諸問題
          7本

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          一六タルトはタルトか

           この論考は2022年7月に行われた阪大カレー愛好会松山旅行における旅のしおり(食文化編)に掲載したものである。 一六タルトの意味論:「一六タルト」はタルトか 1 松山旅行と一六タルト 弊会の記念すべき松山旅行が令和4年7月16日に催行される意義は極めて大きい。  まず、令和4年の4。これは松山銘菓一六タルトと極めて縁が深い数字である。四を二乗すれば一六になるからだ。(何故二乗するのか,とは決して聞かないこと。) 次に7月の7。これもまた松山銘菓一六タルトと極めて縁深

          一六タルトはタルトか

          CoCo壱番屋の『や』考

          はじめに-「ホルモン」と「放るもん」 焼肉屋にホルモンというメニューがあるが、この食用としての動物の内臓であるホルモンは男性ホルモンや女性ホルモンという時のホルモンと同じなのだろうか。それとも、関西弁の「放るもん(捨てるもの)」を語源とするものであろうか。はたまた、それらとは、全く独立のホルモンなのだろうか。周りの人達に聞いてるみると、驚くことにホルモンに対する印象は人によって相当異なっているようである。 (また、実際の語源を調べてみると、諸説あり、何が正しい見解なのかも

          CoCo壱番屋の『や』考

          「隠し味」再考:誰が誰に隠すのか?

           仄聞するところによると、自衛隊ではカレーに隠し味としてコーヒー牛乳を入れることがあるようだ。「カレー×コーヒー牛乳=美味しい」ということは意外性もあって、極めて興味深いことである。  「隠し味」と検索すると、予測で「隠し味 カレー」と出てくる。隠し味という概念は、カレーを美味しくするものとして理解されることが殆どだと言って過言ではないだろう。私にとっても、隠し味と聞いてまず思い浮かべるのは、他でもないカレーである。  では、なぜ隠し味はカレーと親和性が高いのか。邪推であ

          「隠し味」再考:誰が誰に隠すのか?

          なぜ朝カレーは存在しないのか

          「朝カレー」への視点  朝カレーなんて言うと、恰も朝専用のカレーがあるかのように思われるが、基本的にそんなものはない。(実際には無いことも無いのだが)。 例えば、昨日の夜のカレーを朝温めて食べる。そのカレーは朝用に作られたものではないけれども、典型的な朝カレーの在り方であると言って良い。  では、朝カレーという概念は何によって規定されるのだろうか。これは朝カレーの「朝」性を巡る探究である。  朝カレーの「朝」は、カツカレーの「カツ」のはたらきと相当に異なる。カツカレ

          なぜ朝カレーは存在しないのか

          カレーライスにとってカレーは不可欠な要素か

           カレーライスにとってカレーは不可欠であるか。  馬鹿げた問いかと思われるかもしれないが、結論を先取りすると、本稿はカレーはもしかすると不可欠な要素ではないのかもしれないということを、述べようとしている。  この標準的なカレーライス観からは、あまりにもかけ離れた主張を導くことに、実のところ、私自身がいささか臆しているところではあるのだが、そのような考えに至った思考の過程をここに記しておきたい。 半カレーライスにカレーは不可欠であるか 半カレーライスは定食屋等で見ら

          カレーライスにとってカレーは不可欠な要素か

          万葉カレー歌詠みに与ふる書

          万葉カレー短歌とは  読者諸賢は、万葉カレー短歌をご存知でしょうか。  菅沼九民氏編著の『故カレー事成語』事典で下記のような史実が紹介されているように、奈良時代には既に日本に大陸からスパイスが伝来していたとのことです。  また、万葉歌人の中には、既にスパイスをカレーとして食べる者が居たと言われており、カレーが詠まれた歌が日本最古の歌集「万葉集」に何首も収録されています。(大嘘です)。  これを万葉カレー短歌と言います。  下記に代表的な歌をいくつか列挙します。  そ

          万葉カレー歌詠みに与ふる書

          カレーライスかライスカレーか問題への視点

          本稿は阪大カレー愛好会会誌『基礎・カレー探究』に掲載した論考を加筆修正したものです。(Twitter @handaicurry) ~~~ カレーライスとライスカレーを巡る問題の所在  所謂カレーライスを指す語彙として「カレーライス」と「ライスカレー」の二つがあると言われる。この二つの語彙の使用の変遷や両者の使い分けといった問題は多くの人々の関心を集めてきた。  この点を巡る言説について、『カレーライスと日本人』(森枝卓士著、講談社学術文庫)での記述が示唆に富んでおり、

          カレーライスかライスカレーか問題への視点

          伊豆ちっちゃいインド説からカレーコスモロジーへ

          本稿は阪大カレー愛好会会誌『基礎・カレー探究』に掲載した論考を一部加筆修正したものです。(Twitter @handaicurry) 〜〜〜 伊豆、ちっちゃいインド説からカレーコスモロジーヘ  2020年夏、私の所属する阪大カレー愛好会一行は夏合宿という名目で静岡県は伊豆半島に赴いた。   なぜ、カレー愛好会が伊豆の地で合宿を行うのか?我々の心を捉えて離さない伊豆半島の魅力。これはいったいなんだったのだろうか?  伊豆合宿から一年以上経つ今、カレーと伊豆がばらばら

          伊豆ちっちゃいインド説からカレーコスモロジーへ

          阪大「向陽寮」の思い出と小説『カレー夜話』

          はじめにー向陽寮と私  「向陽寮」は、かつて大阪大学旧箕面キャンパスに屹立していた男子寮である。  私は2015年〜2018年の四年間をそこで過ごした。もし仮に私がアナザースカイに出演することがあれば、思い出深いこの地を迷うことなく人生のアナザースカイに選ぶことであろう。  2020年の大学移転に伴い、向陽寮がその歴史に幕を降ろしたことは記憶に新しい。私は常日頃は極めて感受性に乏しい人間であるが、新箕面キャンパスに足を運んで新しい寮と思しきものを見物した際には、どうし

          阪大「向陽寮」の思い出と小説『カレー夜話』

          古典的カテゴリー観と金沢カレー

          「金沢カレーをスプーンで食べる」 この表現は日本語として不条理であろうか?  金沢カレーのことをどれほど詳しく知っているかについては個人差があるかも知れないが、上記の表現は一般に自然な日本語であると思われる。  しかし、ある特定の視座(しかもごく素朴な意味観)に立脚すると、上記の文は極めて不条理な表現になるという帰結が導かれてしまう。今回はこの点について検討しながら、金沢カレー概念の本質について迫っていく。  金沢カレーとは石川県金沢市発祥のご当地カレーである。「ゴーゴ

          古典的カテゴリー観と金沢カレー

          【詳説】カレーライス成立論:カレー哲学の基礎

           本稿は、カレーライス成立論をより詳細に解説するものである。 はじめに 我々はしばしば異質な二項を出会わせることで、一つの世界を表現する。 例えば、  古池や 蛙飛び込む水の音 という俳句では「古池」 という視覚的なイメージと、静寂をやぶる音との衝突によって一つの世界が描かれている。俳句という文芸は異なる二つを出会わせつつ、一つの事態を描くことにその特徴があるわけだが、ここにカレーとの類似性を見ることができるだろう。というのも、カレーもまたライス、ナン、パン、うどんとい

          【詳説】カレーライス成立論:カレー哲学の基礎

          【概説】カレーライス成立論序説

          ●カレーライス成立論 カレーとは何か。我々の心をつかんで離さない「これ」はいったいなんなのか。 〜〜〜 カレーライス。それを作る時、それを食す時、我々にとってどのような形でそれが立ち現れているのか。 料理、あるいは食事という場面においても、カレーライスはカレー(ルー)とライス(ご飯)という異なる二項を持つ。 しかし、我々がカレーライスという食べ物を対象化する際は、ふたつを統合し全体なるひとつを見る。 カレーライスについて根本的に考える者は、この二項結合の内実について考

          【概説】カレーライス成立論序説