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旅のしおりを編纂することの意味

カレー愛好会会員諸君へ

 弊会は毎年、夏合宿と称した小旅行を実施している。旅行に先立って会員全員に寄稿を募り「旅のしおり」を作成することが慣習であるが、近年複数の会員からしおりの作成に関して「実際の旅行よりも時間的リソースがかかっている」「担当箇所を書いただけで満足感が得られてしまい、かえって旅行への意欲が削がれる」といった否定的な声も聞かれるようになり閉口している。

 しおりは歴史編、地理編、食文化編、小説編から構成され、毎年、鋭い洞察、奔放な思索に富み、文学的、学術的価値が極めて高い。このような価値ある営みに不平不満を言う者がいることに私は、驚きと共に遺憾の念を禁じ得ないのである。

 そこで異なる観点から旅のしおりの重要性を述べておきたい。

〇先日の松江旅行
 先日、高校時代の友人の尾崎氏と松江に赴いた。彼とは毎年一回は旅行をしている仲であり、その内容は毎度しみったれたものである。特に目的もなく散歩をしながら「この場所はノスタルジーを感じさせる」とか「今朝乗った在来線は大変な旅情があった」といった分かったようなコメントをし、平時よりも遥かに長い1日を終える。

 そこには我々(弊会)が持ち合わせない詩情(ポエジー)はあるが、我々にあるストイシズムが旅に介在しておらず、もちろん旅のしおりは作成していない。

 ところで、松江旅行初日に現存天守十二城に指定されている松江城の天守閣へ登るか登らないかをめぐり、尾崎氏と大激論になった。私は「城に登って良かったことが一度もない」という個人的経験を述べ、入城料を支払うことを断固拒否し、城の敷地内にある洋館(入場無料)を見物するほうが良いと主張した。結果、初日は入城を見送り、二日目に私が帰ったあと、尾崎氏が一人で城に登るという運びになった。私はそこまで城に登ることに拘泥している尾崎氏を心底不憫に思った。

 ただ尾崎氏の気持ちも分からないでもなかった。今となっては恥ずかしい話だが、私自身もまだ旅の仕方を心得ていなかった大学一、二回生の頃は旅行に行って何をすればいいか分からず、闇雲に神社、寺、城、美術館に入って体力と精神を摩耗していたからである。

 私は彼の精神的成長の助けになればと思い、別れ際に「なんでわざわざ城に登りたいの?」と尋ねてみた。

「城主の視点に立って、城下を見るんや」と尾崎氏は言い残し、彼は城に向かって北に歩いて行った。

 城主視点になって城下を見るとは、なんと高尚な妄想的遊戯であろうか。幕末期の動乱を経ず廃城令が出されていない世界線の〇〇家の末裔の視点を尾崎氏は城に登って獲得していたのである。このように言われてみると、天守閣イベントは大変魅力的であり、また、焦燥と義務感から城に登っていた当時の私がこのような着眼点をついぞ得ることができなかったことを恥ずかしくも思った。

この視点を早く教えてもらっていれば。

 そんなに大事なことは『旅のしおり』に書いておいてくれ。私は帰路の特急やくもの車窓に映る大山(だいせん)を眺めながら、そう呟いたのである。

〇手引きとしてのしおり
 つまり、そういうことをしおりに書いておいてよ、という話なのである。名所や観光スポットの詳細や歴史的な価値については旅行雑誌を見ればだいたい分かるし、今、一世を風靡している生成系AIに聞けばある程度教えてくれるかもしれない。しかし、この土地をこのような視点から見ればこう面白いのではないか、ということは旅行者自身の想像力と思索、丹念な事前準備や人生経験に委ねられている。多くの場合、この視点に関する知識は私秘的なものであるが、それを同行する者と共有しようという試みがまさに旅のしおりの編纂なのである。このような観点から作られたしおりはまさに『手引き』というに相応しいものだ。少しのことにも、先達はあらまほしき事なのである。

 また、このような観点から優れた論考が、既に過去の旅のしおりにも掲載されている。『2020年夏 伊豆旅行のしおり』に掲載されたカレー小説家の菅沼氏による「出ずる―伊豆半島論」だ。少し長いが、以下に引用する。

伊豆半島はフィリピン海プレートに乗って南洋からやってきて本州に突き刺さった異物なのだ。この事実と直感との齟齬を我々は認識しなければならない。気楽に思われ た伊豆半島への冒険は未知への探求へ他ならないことを知るべきだ。我々が向かうのは 異質な地、日常の延長に差し込まれた非日常なのである。

菅沼九民氏「出ずる―伊豆半島論」


この論考は、本州から突き出た、即ち、本州からの連続的な地として捉えられることの多い伊豆の異質性をプレートテクトニクスの観点から読み手に強く訴えかける。この論を読む前の私は、伊豆は都心から近い手頃なレジャースポットであるという感覚の中に安住していた。もしこれを読まずして、伊豆に赴いていたならば、そこでの体験は全く異なるものになっていただろう。伊豆は過去、島であったという感覚が、石廊崎沖に揺蕩う海亀の存在を我々に発見させたのだと私は信じているからである。その亀は他の旅行者には見えていないようであった。

 このように旅のしおりには力がある。菅沼氏の論考をお手本としながら、各会員がたゆまざる努力と研鑽を重ねて、しおりを執筆されることを期待し、この文章を終える。

注)アイキャッチは松江市にて撮影

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