からかい上手の高木さんが使う終助詞「や」についての考察
1.高木さんの可愛らしい「や」
先日、待ちに待った『からかい上手の高木さん19巻』(2023年3月10日発売)が届いた。
『からかい上手の高木さん』のヒロイン高木さんは語尾に印象的でかわいらしい「や」を使うことで知られているが、特に最新巻の19巻では高木さんの終助詞「や」を6例も見ることができ、ファンとしては大満足であった。
また、作品がすすむにつれ「や」の出現する頻度が徐々に高くなっている気がしたため、この度、単行本1巻~19巻と劇場版特典の映画巻のすべてに目を通し、高木さんの終助詞「や」の例を一覧にまとめてみた。それが以下の表である。
(どのような場面での発言だったかを想起しやすいように巻数とともにエピソード名も記した。是非活用されたい。)
この表から18巻以降で高木さんの「や」の出現頻度が極端に高くなっていることがわかるだろう。
さて、高木さんの「や」に注目しそれを愛でているのは私だけではない。高木さん絶対王政帝国氏(twitterアカウント名)は高木さんの「や」について複数回言及し、先駆的な観察を行なっている。
王政氏のツイートで詠嘆等と言及されるような「や」はいったい何をしているのだろうか。高木さんというキャラクターの深い理解のためにも、高木さんの「や」がなんなのかについて明らかにすることは重要だと思われるし、そのためにはまず一般に「や」がどのような助詞なのかを確認したいと思う。
実は、日本語文法学会の学会誌『日本語文法』(くろしお出版)では平叙文の文末で用いられる「や」について、近年盛んに論じられている。
この「や」を取り上げているのが白川(2019)と蓮沼(2022)による研究であり、「や」にかんする見解は研究者間でいまだ一致していない。また、そこでなされた議論に対して高木さんの「や」の使用の実態は極めて重要な示唆をはらんでいるように私には思われてならない。
そのため、高木さんというキャラクターの理解(と終助詞「や」の意味と機能への理解)を深めるために以下、簡単に『日本語文法』誌上での「や」の論争を紹介する。
また、これらの議論を通して西片くん(高木さんが好意を寄せる男子)と高木さんの「や」の使用実態が微妙に異なっているという重要な事実が明らかになるため、ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いである。
2.終助詞「や」をめぐって
●先行研究①:白川(2021)「終助詞「や」の機能と独り言性に関する検討―認識即応性の観点から―」
大木(2017)『文論序説』は平叙文を伝達文と認識文に分けるという文類型を提案した論考であるが、白川(2021)はこの文類型に依拠しつつ、終助詞「や」は認識文にしか生起せず、伝達文には生起しないこと、すなわち終助詞ヤは当該の発話が認識文であることを表示する形式であることを主張した。
白川の議論を理解するためにまず認識文と伝達文とは何かをごく簡単に確認したい。
白川は伝達文において「や」が生起しにくいことを示しており、例えば、疑問文に対して情報を伝達する場面でヤが用いられた次のBの例ではヤの使用の据わりが悪く、不自然に感じられることを報告している。
A:今度北海道に行くんだけど、寒いかなあ?
B:? 〔既知の情報として〕秋口の北海道は寒いや
※「?」は当該の発話が不自然であることを示す。
一方、「北海道が寒い」ということは発話の直前で認識したと考えられるような文脈を想定すると、次のようにその文は自然になることがわかる。つまり認識文において「や」が生起するということである。
〔北海道に着いて〕やっぱり北海道は寒いや
また、中﨑(2014)では平叙文におけるヤの後接はイ形容詞型の活用語に限られると指摘されていたが、白川(2012)では眼前描写的や発見の文脈が想定される場合には、動詞のル/タの形へのヤの後接が(中﨑2014の記述に反して)可能になると新たに指摘しており、その例が次である。
a.あれ、あいつもう来てるや。
b.あ、こんなところに落ちてるや。
このことから、ヤの出現可能性に大きく影響するのは文の認識即応性であるというのが白川(2021)の主たる主張である(終助詞「や」はその文が認識文であることを表示するのである)。
●先行研究②:蓮沼(2022)「終助詞「や」の機能再考―「わ」との比較を通して―」における白川(2021)への指摘
白川の議論に応答する形で提示されたのが蓮沼(2022)の研究である。蓮沼(2022)は「白川の「認識即応性」の概念は、それが依拠する「や」の用例の質・量両面で重大な難点を抱えている」とし、白川(2021)の論の難点を三つ挙げる。
①使用頻度が低い書記言語の例や作例
②容認度に異論が生じそうな例
③音声言語の「や」の例への目配りの欠如
蓮沼(2022)は以上の立場から、白川(2021)が論の根拠として用いている以下の用例については容認しがたいと述べる。
【白川2021では容認されていたが蓮沼2022が容認し難いとする例】
a.うわ,すごい吹雪吹いてるや
b.あれ,あいつもう来てるや
c.あ,こんなところに落ちてたや
d.変な時間に間覚ましちゃったやー
e.札幌行きの飛行機,欠航してるや
f.うわ,またLINEの通知バグってるや
g.そういや帰ってからずっと,部屋くらいままゲームしてたや
h.ああ確かに連絡あったや
さらに蓮沼(2022)は以下のように述べている。
白川・蓮沼の論争は考察対象とする話者の想定が異なっていることに起因する対立のようにも見受けられる。実際、蓮沼(2022)は自説の考察対象について次のように述べていることに注目したい。
また白川(2021)も自説について以下の留保をつけていることを確認しておく。
このように、動詞肯定形に終助詞「や」が接続する用例はどのような世代やテキストジャンルに偏るのかは今後研究の余地が残されていると言えるだろう。
本稿はその第一歩として漫画『からかい上手の高木さん』における用例を報告するものだと位置付けられる。
3.あらためて高木さんと「や」:高木さんの「や」の特殊性
さて、読者諸賢は、白川・蓮沼論争において問題とされているヤの用例が漫画『からかい上手の高木さん』における高木さんの発話(例:西片も帰ってるや。)に散見されることに気がつかれただろうか。中﨑(2014)蓮沼(2021)が容認し難いと述べる動詞肯定形への接続する終助詞「や」が、高木さんの用例では、なんと22例のうちから12例を指摘することができるのである。以下で確認されたい。
【高木さんの発話のうち動詞肯定形に後接するヤの用例:12例】
a.あーちょっと濡れちゃってるや。
b.ちょっとドキドキするや。
c.なんか久しぶりな気がするや。
d.手がかじかんできちゃったや。
e.うん、なんかしっくりくるや。
f.あー、逃がしちゃったや。
g.あ、ゴメン クセになってるや。
h.自分の卒業式、ちょっと楽しみになってきたや。
i.なんか安心したや。
j疲れたや。
k西片も帰ってるや。
l.なんか楽しみになってきたや、中学最後の夏休み。
また、白川(2021)は「や」は認識即応性を示すという意味的な特徴を指摘していたが、これは高木さんの用例にも問題なく当てはまる一般化だと思われる。
つまり、「や」の先行研究において高木さんの「や」の使用実態も含めた一般化を提出できているのは白川(2021)だけである。逆にいえば高木さんの「や」は中﨑(2014)や蓮沼(2022)の研究の想定からはみ出していくようなふるまいを見せ続けているとも捉えられるだろう。
そのために、高木さんの終助詞「や」はなんとなく我々を目を惹き、特別に愛らしいとも感じられ、高木さんというキャラクターの特徴的な言葉使いとして注目されているのではないかとも思われる。とにかく、高木さんの「や」に関心を持つ読者にとって白川(2021)は必読である。
4.考察:西片と高木さんの「や」の使用実態の相違
さて、ここまで高木さんの「や」の用例を見てきたが、高木さんが好意を寄せる男子である西片くんも多くはないが終助詞「や」を複数回用いている。今回の調査では西片くんの「や」も網羅的に収集しまとめてみた。
このように西片からも終助詞の用例が少ないながら収集できるのであるが、動詞肯定形への接続は「わかる気がするや」の一例のみであり、この点で高木さんとは対照的なふるまいを見せている。この相違を下記にまとめた。
高木さんのヤの用例においては過半数(54%)が中﨑(2014)蓮沼(2021)の否定する動詞肯定形への接続であり,一方西片の場合は動詞肯定形への接続が1例(20%)に留まる結果となった。このことから,高木さんは中﨑(2014),蓮沼(2022)の想定からすると逸脱的な話者であり,西片は高木さんと比べると比較的規範的な話者だということになる。
5.今後の課題 高木さんの感動詞的な「や」(例.「や、西片」)
本稿ではヤの終助詞用法についてみてきたが、高木さんの発話には以下のようにヤを感動詞として使う例が5例見受けられた。2巻、腕ずもうにおける「やっ!!」は掛け声に近く特殊であるが、その他4例(「や、西片」)は西片に声をかける際の表現として高木さんに特徴的な、定着した表現であるといえる 。
これらの「や」を終助詞「や」と同形式とみるか否かについては、論の立て方次第とも思われ、本稿の射程を超えるが、「やぁ」ではなく「や」であることも注目に値する。
以下は西片の発話であるが「や」ではなく「やぁ」である。
【西片の感動詞「やぁ」】
やぁ、高木さん。 (8巻、雪だるま)
高木さんの発話で「やぁ」は見られないという点で、西片との使用実態の相違をここにも指摘できる。
このように、終助詞にせよ、感動詞にせよ「や」という形式が高木さんというキャラクターの独自性のある側面を形作っているのだと言えよう。感動詞用法の詳細な考察は今後の課題である。
6.高木さんをより深く理解するために
認識即応性を表現する形式としての「や」の多用が高木さんという作品におけるコミュニケーションの中でどのように機能しているのか、「や」は「からかい」と関係しているのか否か、なぜ作品の進行に伴い「や」が増えているのか、等の問題は本作の作品論としての観点からのさらなる考察が必要である。
さらに、高木さんの終助詞「や」が可愛らしく感じられることの理由は未だ謎に包まれている。(私のある友人は「高木さんのヤの用例を他の終助詞にパラフレーズしてしまうと,その可愛さが減ぜられてしまうのではないか」とコメントしている。)
これらの探究は本格的な作品論と文法論との両輪で進められる必要があり、『からかい上手の高木さん』論において本稿は文法論の枠組みから事実を整理したに過ぎない。
(さらなる考察につづく)
参考文献
大木一夫(2017)『文論序説』ひつじ書房
白川稜(2021)「終助詞「や」の機能と独り言性に関する検討ー認識即応性の観点からー」『日本語文法21-1』くろしお出版
蓮沼昭子(2022)「終助詞「や」の機能再考ー「わ」との比較を通してー」『日本語文法22-1』くろしお出版
中﨑崇(2014)「終助詞『や』についての覚書」『就実表現文化8』
※本稿のもととなった議論(Youtubeチャンネル「ゆるもラジオ」)
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