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カレーライスかライスカレーか問題への視点

本稿は阪大カレー愛好会会誌『基礎・カレー探究』に掲載した論考を加筆修正したものです。(Twitter @handaicurry)

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カレーライスとライスカレーを巡る問題の所在

 所謂カレーライスを指す語彙として「カレーライス」と「ライスカレー」の二つがあると言われる。この二つの語彙の使用の変遷や両者の使い分けといった問題は多くの人々の関心を集めてきた。

 この点を巡る言説について、『カレーライスと日本人』(森枝卓士著、講談社学術文庫)での記述が示唆に富んでおり、両者の使い分けや異同を論じるものは、必ず森枝氏の論を参照しなければならない。

 以下では3つ引用によって森枝氏の言及を確認する。引用部①②は両者の使い分けに関する示唆であり、引用部③はカレーライスからライスカレーへの史的展開について述べている。

引用1
「カレーとライスが別々の器にはいって出て来るような、気取ったやつじゃなくってさ、飯の上にドロッと黄色いカレーが乗っかってるやつ、少し経つとカレーの表面に薄くうどん粉の膜が張ってさ、ジャガイモだの、脂身の多い牛や豚の肉の塊がデコボコしてて、一コ、二コ、大威張りで鎮座ましましてるだろ、そんでさ、タマネギの切れっ端がピンとハネ上がってて―、そう、そんなやつよ、ありゃあおめえ、カレーライスなんてもんじゃないぜ、ライスカレーよ、うん!」

『カレーライスと日本人』

引用2
カレーというと、わたしが子供のころ(というのは東京オリンピックの前後だ)はまだ、カレーライスかライスカレーかが議論になった。普通はライスカレーといったが、ちょっと「ハイカラ」派がカレーライスといった。ソースや醤油をかけるようなのはライスカレーで、御飯とは別の容器に盛ってくるようなのがカレーライスだったり、まあ諸説あり、というか皆好きなことをいいあったものだが、いつのまにかカレーライスに統一されていったようだ

『カレーライスと日本人』

引用3
ライスカレーということばが古臭く感じられるようになった時代に、カレーライスという逆転がおこったのだろうか。(p142)

『カレーライスと日本人』

 以上で言及されているように、ライスカレーという呼び方が衰退し、カレーライスという呼称が支配的となったという事実は認めて良いことだと思われる。この事実を出発点にした時、何が問題となるだろうか。

 この事実を踏まえながらも、カレーの呼称に関する問題意識の一つとして「カレーライスとライスカレーはどのように使い分けられるか」といった問いに答えを与えようとする論者が(現代においても)多く見られることは注目に値する。ライスカレーという呼称が廃れカレーライスという呼称が一般的になったという見解の裏には、その呼称が指し示す対象が同一であるという前提があるはずだが、両者の相違を論じる論者はそれぞれの語が指し示す対象が異なるのではないかという問いを立てているからである。森枝氏は、カレーライス、ライスカレーが併存していた時代においては、両者の使い分けがあり得たかもしれないということを述べているが、それぞれが好きに言い合っていたとあるように、使い分けが公共性を得るまでには至らなかったようである。

 森枝氏はあくまでも両者が共存し得た時代を回想しつつ、両者の違いに触れるわけだが、ネット上の記事の中には、現代の使用を考察する形で、カレーライスはカレーとライスが別々に盛り付けられているようなものを示し、ライスカレーはより大衆的なものを示す、といった辞書的な記述によって両者の異同や使い分けを示そうとする論考が見られる。しかし、ライスカレーという語を用いることは殆ど無いため、実際の話者である我々が上記のような使い分けに関する知識を参照しながら両者の語彙を使用しているわけではない。そのため、両者の使い分けを現代において論じるのは疑似問題を弄んでいるのではないかという懐疑が私には拭いきれない。

 我々が文章を書く時に例えば「人間」と「ヒト」どちらの言葉を使うか(どちらがしっくりくるか)を、迷うということは想定できるが、その場合それぞれの語彙が指し示す対象が異なるわけではない。ライスカレーとカレーライスの相違を仮に論じるのであれば、そのようなレイヤーで論じるべきだろうと思われ、この点は別項に譲る。

ライスカレーからカレーライスへの史的展開の駆動力についての一仮説

 一方、「なぜカレーライスという呼び方が一般的になったのか」という問いは、実際の事実をもとに成立する問いであり、カレーの呼称に関心を持つ者にとって、説明対象となるだろう。森枝氏は引用部にて、ライスカレーという呼称が古臭く感じられるようになったからではないだろうか、と仮説を述べているが、勿論これでは説明にならない。古臭いというのは当該の呼称が既に過去のものなってから初めて感じる感覚だからである。森枝氏の主張は結論を先取りしてしまっている。本稿では、カレーライスという呼称が一般的になった動機付けに関して、一つの仮説を提案したい。

 カレーライスという語はカレーとライスという二つの語から成立しているわけだが、カレーとライスはどのような関係にあるだろうか。一般に日本語において、トラ猫が「トラ」の一種ではなく「猫」の一種であると自然に解釈されることから明らかなように、修飾の構造において、被修飾部分は後部に置かれる。つまり、「トラ」が「猫」を修飾するというわけである。従って、料理名の後部にライスを持つ料理(例えばチキンライス、ガーリックライス、タコライス、ハヤシライス、等)に関して、我々はご飯(ライス)ものという類として捉えるというカテゴリー観を有しているだろう。また、直感的にカレーライスはこの類の例外でない。カレーライスはご飯ものなのである。

 おそらく、種々の××ライスと呼ばれるご飯ものが台頭し、それらと並列的にライスカレーが食堂のメニューあるいは、夕食のラインナップとして位置づけられる中で、同じ類の規則に従う方法でそれを呼びたいという動機づけが生じ、ライスカレーのライスが後置されるに至ったのではないか。

 これは、うどん屋においてうどんの下位類として扱われるカレーうどんでは「うどん」が後置されていることと並行的であり、また、パン屋においてパンの下位類として扱われるカレーパンでは、「パン」が後置されているということとも並行的である。

 我々の日常的な実感ではカレーライス、カレーうどん、カレーパンをカレーの下位類として捉えるよりも(そう捉えることは勿論可能であり場合によってはそのように捉えているだろうが)、カレーライスをご飯ものの下位類として、カレーうどんをうどんの下位類として、カレーパンをパンの下位類として捉えることの方が慣習化されているように思われる。

 以上のような見解に立つと、カレーライスという呼び方が一般的になる過程は、カレーライスが日本の食事の体系の中に位置付けられていく過程だと捉えられる。

参考

本稿の見解は下記のPodcastでの議論が下敷きとなっている。

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