褐色矮星

備忘録以上の意味はございません。

褐色矮星

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マガジン

  • 愁活記

    愁色活動、略して愁活の記録。

  • 夏の鉄道乗りまわしの旅

    中学生の自分が記した一夏の記録、全文公開。

  • 訪朝記

    2019年9月、訪朝の記録。(完結)

最近の記事

夏の記(下)

8月9日の早朝、自分は札幌駅にいた。今日から3日間かけて、日本海に沿って鉄道で大阪まで行くことになっている。なぜならば、鉄道に乗ることが自分の趣味だからだ。 物心ついてから、自分はJRの全線完乗を目指して鉄道に乗ってきた。いわば新規開拓が目的だから、既に乗ったことのある路線は避け、極力重複なく乗るように心がけていたわけである。しかるに今回は大阪に行くことを目的とした結果、はからずも随所で過去の自分の足跡を辿るような行程になっていた。 列車が札幌を出ると、程なくして丘陵に並ぶ

    • 夏の記(上)

      夏という季節を好ましいと思ったことは一度もなかった。快適な気候とは程遠いし、あれをやれこれをやれと押し付けがましい気もする。だが、そんな屈折した感情とは裏腹に、まとまった休みがあるという理由から毎年自分は夏に外出している。今年の8月5日、自分はいわゆる第二の故郷である札幌に向かった。 2年ぶりに会った大学の同期は、大学院でインド哲学を修め、8月からとある外資系企業で働き始めたのだと言った。それも、国総(国家公務員採用総合職試験)の合格有効期限を迎える3年後までには辞めるつも

      • 文学部に行くべきか悩んでいる方へ

        ── こんばんは。大学進学を志す高校生にとって、学校選びと同じくらい重要な意味を持つ学部選び。しかし文系の学生のなかには、「文学部っておもしろそうだけど就職に不利なイメージがあるし、志していいものだろうか……」と迷っている方もいるのではないでしょうか。そこで今回は、2021年をもって北海道の国立大学の文学部を卒業し、現在都内で冴えない会社員をやっている褐色矮星さんに文学部の魅力を語ってもらうべく来てもらいました。よろしくお願いします。 褐色: よろしくお願いします。 ──

        • やき弁ラプソディ

          10月のある日、自分は仕事で有楽町にある「どさんこプラザ」(北海道の物産店)を訪ねていた。そこには道内各地の名産品と並んで、「やきそば弁当」の姿があった。よほど買って帰ろうかと思ったが、190円という値段に引っかかって踏みとどまった。自分にとっての「やき弁」とは、近所のコープさっぽろで108円払って買うものだったからだ。久しぶりに(といっても3か月ぶりに)北海道に行こうと思った。 11月11日(木)、ここぞとばかりに取った休暇を使って、自分は一路新千歳へと飛んだ。そしてその

        夏の記(下)

        マガジン

        • 愁活記
          2本
        • 夏の鉄道乗りまわしの旅
          5本
        • 訪朝記
          8本

        記事

          ワーカーズ・ブルー

          誰かがこう評した。「なんやかんや言いつつも、つつがなく会社勤めをしている彼が羨ましい」と。たしかに、真っ先に仕事を辞めると目されていた自分は、曲がりなりにも今日まで働き続けている。足下も覚束ない「愁活生」だった頃からすれば、精神の健やかさたるや比べようもないことはたしかである。だが、そのように評した彼ほど自分に近しい人であれば、自分が仕事に生き甲斐や幸福を付託する類の人間でないことを知っているはずである。自分は仕事に打ち込んだ先に、月並みなことばで言うと「幸福」が存在している

          ワーカーズ・ブルー

          とある手紙

          拝啓 先日は素敵なお手紙をどうもありがとうございました。お返事が遅くなり申し訳ありません。「社会人」としての最初の2週間を過ごし、ようやく一息つきながら、この短期間に起こったことについて総括しているところです。 結論から申し上げますと、今の職場の環境はあながち悪くないように自分には思えます。飲酒を強要されることもなく、社訓を暗唱させられることもなく、大半のことが合理的に運ばれています。もちろんまだ勤め始めて2週間にも満たないので、さまざまなことを見極めるには時期尚早ですが

          とある手紙

          早春倦怠記(下)

          「小学校で一緒だったあの○○ちゃんは、この前ママになったんだって」と、祖母は自分の小学校時代の同級生でかつ又従兄弟(で正しかったか忘れたけれど)の現在について自分に報告した。父親が運転する車で祖父の墓参りに向かう道中のことだった。自分はなんと答えるべきかよくわからなかった。「生き急いでるな」という感想が生じたのも束の間、ぼうっと流れゆく車窓を眺めていると、たしかに街には数多の家族が行き交っていた。そして自分もまた紛れもない「家族の一員」として街に存在していた。 * * *

          早春倦怠記(下)

          早春倦怠記(上)

          3月1日、埼玉に帰ってくると、そこは明確に春だった。自分は春と向かい合わなければならない。 でもどうやって? * * * ドイツの『キッカー』誌は、僕の大学生活について次のように評価した。 褐色矮星 3.5/6点 序盤はいい入りを見せたが、後半は沈黙した。攻撃面での貢献は限られたが、与えられた守備のタスクをきっちりとこなした。 ある意味では上出来だった。しかし特筆すべきことがないのも事実だった。傑出したことはなにもない。それは「平均的な」ということばで片付けられるの

          早春倦怠記(上)

          定点観測

          noteを開設する以前、自分は述懐のはけ口をInstagramに求めていた。突如として投下されるに長文に友人からは「なんなんだあれは」と突っ込まれることもしばしばで、いつしかそれは「怪文章」と自嘲気味に呼称されるようになった。 noteを開設してからは「怪文章」が投稿されることもめっきり減ったが、自分にとってちょっとした特別な日である12月8日にはその名残で、毎年そのとき考えていたことを写真を添えて載せるようにしている。その原点について思い返すと、3年前の12月、そのときの

          定点観測

          近況報告

          高緯度の昼は短い。17時にして夜の帳が下りきっているのを目にするたび、自分はそこに雪に閉ざされた冬の足音を聞く。 10月の半ばに愁活を終えてから、自分は降って湧いてくる予定に振り回されることも、日ごとパソコンと向き合って将来を模索する必要もなくなった。卒論という次なる仕事を抱えつつも、再び目の前の時間を生きることへの回帰を果たした。 10月21日からの6日間、自分はかねてより決めていた、未踏である北海道の鉄路に乗る旅に出た。 2日目の早暁、根室へと向かう列車は枯れ葉を巻

          近況報告

          愁活記(後編)

          第4部 夢を描いては閉ざされ、描いては閉ざされを繰り返した先に袋小路を見た自分はいよいよ暗澹たる気分になり、マンションの11階にある自室を「死まで徒歩5秒の立地」などと形容するようになっていた。さながら賽の河原で石積みの刑に励む子供のようであった。けれども6月の後半、自分はちょっとしたことを契機に絶望の淵から脱出することとなった。 一つのきっかけは久しぶりに会った友人との会話であった。簡単に言えば、その友人は自他の人生について「死ななければいいのだ」と端的に言い切った。英語

          愁活記(後編)

          愁活記(前編)

          この記事は、就職活動に関するやる気のまるでなかった者がその模様について省みたものです。なんの「生産性」も意義もございません。 第1部 就職活動ほど、当時の自分にとって忌まわしいものはなかった。ようやく学部生として脂が乗りつつあった2年次の終わりごろから、就活の足音は聞こえてきたように思う。勉学という明確な目的を持って大学に入ってきた者にとって、それは耳障りな存在にほかならなかった。誰だって、売り出し中の20代半ばかそこらで、やれ墓だの遺言状だのと「終活」の話題でも持ち出さ

          愁活記(前編)

          享受するという才能

          振り返れば小学生の頃、自分は「金持ち」と言われることをなによりも嫌った。実際には自分の両親は典型的な地方公務員であり、資本も何も持っていないから金持ちであるはずがないのだが、そういった客観的な査定が下せるようになるのはもっと先のことである。とにかく自分は何かの拍子に「金持ち」などと茶化されると、顔を真っ赤にして否定していた記憶がある。愛情についても同様であった。こちらには自分が一人っ子であるという確実な「負い目」のようなものがあって、親からひときわ大事にされていると人に思われ

          享受するという才能

          自己PR

          就職活動を始める前に、身近な友人の数人かに「他者から見た自分の特徴」について尋ねたことがある。「自分の考えを持っている」「損得勘定で動かない」「自分に対しても他者に対しても誠実であろうとしている」「自分の信念を貫こうとする強さを感じる」といった文言が並んだ。それらは概ね自らの自身に対する見立てと一致していた。だが、実際に私が就職活動で用いた自己PRは、「私には課題を発見する力と、それを発展的に解決する力があります」といったものだった。就活の現場においては、限られた紙幅でアピー

          「成長」の定義

          就職活動の現場において「成長」というワードはそこかしこで謳われ、一種の胡散臭さまで発するようになってしまった。だが、経済成長が手放しで賞揚される時代が終わりつつあるとしても、自己についていえばまだまだ我々は、「成長したほうがいい」という価値観からは離れがたいように思える。だからこそ、「自己成長」は労働者をやりがい搾取へと導くための常套句となり得るのであり、自分もまたその磁場から完全には逃れられないでいる。 では、自己における「成長」とは、具体的にどういったことを意味するのだ

          「成長」の定義

          夏の鉄道乗りまわしの旅 最終部

          前回に続き、中学2年のころに執筆した旅行記のデータを発掘したので、ひっそりと公開します。 最後となる今回は、当時の同級生に書いてもらった解説、および現在の自分による所感を末尾に掲載しています。 第三日東京─富士─富士宮─身延─身延山─身延─甲府─立川─西国分寺─武蔵浦和─大宮─東大宮 ふと目を開ける。列車は停車しているようだ。駅名表が、ここは既に東の管内であることを語っている。 何となくうつらうつらしつつ、横浜到着の放送で起こされる。しかしまだ眠いので目を閉じてしまう

          夏の鉄道乗りまわしの旅 最終部