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早春倦怠記(上)

3月1日、埼玉に帰ってくると、そこは明確に春だった。自分は春と向かい合わなければならない。

でもどうやって?

* * *

ドイツの『キッカー』誌は、僕の大学生活について次のように評価した。

褐色矮星 3.5/6点
序盤はいい入りを見せたが、後半は沈黙した。攻撃面での貢献は限られたが、与えられた守備のタスクをきっちりとこなした。

ある意味では上出来だった。しかし特筆すべきことがないのも事実だった。傑出したことはなにもない。それは「平均的な」ということばで片付けられるのかもしれないが、加えて自分が顕著に思うのは、自身の大学生活には後へと続く「連続性の欠如」が認められることであった。上出来すぎる(と、これに関しては断言できる)成績で学業を修めたけれど、院に進むわけではない。たくさんの友人に恵まれたけれど、人生の伴侶を得たわけではない。七転八倒の末に職を得はしたが、それは当座の生活以外のなにものをも自分に保証しない。富も名誉も、ましてや幸福など、その先に実在しているのかどうかすら定かでない。したがって、「就職おめでとうございます」というありふれた祝辞に対して、自分はいちいち複雑な顔をしなければならなかった。

そう、自分が大学生活で得た、数少ない有形の成果物である「内定」は、それ自体に何の意義も価値も見出されないのであった。自らが望んで勝ち取った大学、あるいは大学院への合格は、それ自体が自らにとって尊く替えのきかない価値を持つ。喜ぶべきことであり、めでたいことでもある。もちろん合格の末に何を描くかは人それぞれであって、そこには何の保証も確証も含まれない(意中の大学に合格した学生が、意のままに大学生活を過ごすとは限らないように)。とはいえ、自らの達成した事績を前に、束の間の充実感や陶酔に浸ることくらいは許されるだろう。翻って自分の内定は、そういった一切の肯定的な価値を含まない。「来年からここで働きます」という事実以外の何物でもない。その先のことを自分は何も知らない。ただ立ち尽くしている。誇りに酔うことも、期待に胸を膨らますこともなく、かといって嫌悪を以てその日を迎えることもできない。だから自分はこの浮き足立つような春を前に、完全に行き場を失っている。

* * *

2月の末、家を引き払った自分は2人の友人宅に数泊ずつ泊めてもらった。その友人うちの一人は家族と共に札幌に住んでいるものの、かつての祖母宅を創作のための「アトリエ」として使用しており、自分はそこに泊めてもらったのであった。彼は理学部で生物学を学ぶ同期であったが、卒業後は院進も就職もせず、書道で身を立てる術を模索することになっていた。彼はとても才能に恵まれた書家であったが、「生活」というその一点で見れば自分よりはるかに不確実で、それこそ何の保証も確証もない立ち位置にあった。

「この前母さんに『生きてて死にたくなることないの』って訊いたらさ、『そんなことはない』って即答したのさ。生きてて基本的に楽しいらしい。マジかよそういう人って本当にいるのな」と、彼は驚きを口にした。自分はそれについて然もありなんと思う一方で、同時にやはり驚くべきことであるとも思った。言うまでもなく、生きる理由が「当面死ぬ予定がないから」というものである自分にとって、生と死は表裏一体で不可分なものである。生は折に触れてやって来る「死ぬか」という問いを否定することによって浮上する存在であって、それ単体で成立することは考えがたかった。だから、一点の曇りも疑いもない生が存在することについては、まさしく驚くべきことであった。ただ自分は肌感覚として、誰もがそうそう死ぬことばかり考えて生きているわけではないということを知っていたし、事実として断続的な快楽は(理論の上では)死の存在を限りなく遠ざけられることもまた知っているつもりだった。よって理解ができないわけではなかった。もっとも、死に関しての造詣の深さについてはその友人のほうが断然上で、シオランの著書も読了済みであったし、『完全自殺マニュアル』という実践的な書も持っていた。どれどれと目を通してみると、やはり本能に抗って死ぬということは並大抵の苦労や苦痛なくしては達成できないらしく、やはり当面は生きていこうという気になる逆説的な書なのであった。

中学だか高校だかの教師が言っていた「刹那的ではない本当の愉しみ」のような存在が実在するのか、自分にはよく分からない。ただ自分がつくづく思うのは、「快楽は刹那的だが、苦渋は永続的である」という事実である。しかも苦渋の自己生成が容易である一方、快楽のほうは簡単には生じ得ない。苦渋は反復・増幅が可能であるが、快楽を増幅させることは困難である。
生得的とも思える苦渋に対し、自分は仮初めの快楽をあてがって自らをなだめすほかに生きる術を持たないし、知らない。とはいえそのために充て得る労力だって有限であるから、時間の過半を通奏低音の如き苦渋のうちに過ごすことになる。

とある実家暮らしの友人の「自炊できる気がしない」という嘆きに対し、別の一人暮らしの友人は「案外なんとかなるものよ。食べるってことは生きるってことだから」と返答した。正鵠を射ていると思う。その上で、自分はもはや自分が生きること自体に対してすら懐疑の念を禁じ得なかった。いくら腕を振るって上等な食事を用意したところで、それを食した自分がすることといえば、嘆き、もがき、悲嘆に暮れることくらいである。どうも割に合わない気がして、一人暮らしの末期は機械的に鍋ばかり作って食べていた。頽廃、という言葉が当てはまるほど自分は生を輝かせることを放棄してはいなかったが、自分がそんなことをして何になるのだという自嘲を振り切ることもできなかった。

幸か不幸か自分はまだ若く、それゆえに幾許かの可能性を有している。だが、この若さ故の「将来の対する漠然とした期待」が失われたとき、自分がはたして人の形を維持していられるかどうかについては全く自信がなかった。

につづく)


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