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やき弁ラプソディ

10月のある日、自分は仕事で有楽町にある「どさんこプラザ」(北海道の物産店)を訪ねていた。そこには道内各地の名産品と並んで、「やきそば弁当」の姿があった。よほど買って帰ろうかと思ったが、190円という値段に引っかかって踏みとどまった。自分にとっての「やき弁」とは、近所のコープさっぽろで108円払って買うものだったからだ。久しぶりに(といっても3か月ぶりに)北海道に行こうと思った。

11月11日(木)、ここぞとばかりに取った休暇を使って、自分は一路新千歳へと飛んだ。そしてそのまま帯広行きの特急に乗り、東へと向かった。車窓を覆う針葉樹の葉はすべて抜け落ち、曇天と相まって荒涼とした景観を展開していた。もっとも、それは北海道の季節を4周した自分にとっては既知のことであった。

自分がこれほどまでに道東を目指すのは、道東(と、そして道北)に特有の抽象的な景観に惹かれるが故であった。それは雑踏に塗れた東京の対極であり、かつそれを目にした者に何らかの強い印象を与えてくれるという点で魅力的に思えた。かつて札幌に住んでいた頃も、自分はそうした場所こそが「北海道」であると定義して、折あるごとに「北海道に行きたい」と口にしていたものだった。

まだ雪のない、赤茶けた大地と青空とが織り成す景観はまさに抽象的であった。自分はそこに立ち、思い描いたままの抽象画の一部として振る舞うことができた。紛れもない北海道があった。

だけれども、千歳に着いて以来、自分はどこか地に足の着かない感覚を折に触れて覚えていた。針葉樹の美林、澄んだなかにも緊張を孕んだ空気、そしてジャンキーなセイコーマートのフライドチキン──浴びるほどの北海道を五感で感じつつも、未だに自分は「着いていない」のだという感触が拭えなかった。やっとの思いで飛んできた北海道で、自分は北海道を探して彷徨っていた。

3日目、自分は最終目的地の札幌へと向かっていた。いつであれ「札幌」は旅の終わりのシグナルであり、現実への入り口であった。今回もそれは例外ではなかった。

帯広を昼過ぎに出た「とかち」は、予定通りに淡々と日高山脈を越え、日暮れと共に千歳線に入った。にわかに車窓には町並みの色が濃くなり、大都市・札幌の存在が仄めかされる。北広島のあたりの高架線から、自分は眼下に連なる自動車のテールランプを眺めていた。すると自分のなかで、何かがカラリと反応を起こすのが感じられた。自分が無意識のうちに求めていた「北海道」がそこにはあった。

東京での暮らしのなかでも、自分の胸中には常に「北海道」が息づいていた。それは無国籍に行き交う人々のなかで、自分に識別子を付与する必要をどこかで感じていたからなのかもしれない。そうしたときに自分が思い起こすのは、寒さ、そして雪という強大な足枷にもめげることなく都市活動を維持する札幌市民の姿であった。夜更けに轟音を上げて行き交う除雪車であり、寒さを避けた市民で賑わう地下歩行空間であり、多大な工夫と努力の上に成り立っている暖かな部屋の数々であった。そしてその一員として、かつての自分もまたそこに含まれていた。そうした厳しい気候を前にした連帯の意識が、いつの間にか自分のなかの「北海道」を異なるものに変えようとしていた。その証左として、自分の望郷の念はいつしか明確に、極北の地で燦然と輝く大都市の活動を維持しようという、その大きな営みの輪に再び加わりたいという形に具体化しつつあった。

なんだそういうことか、と自分は自分を嘲笑した。その理屈からすれば、自身がたった今まで垣間見てきた、道東の小さな集落に住む人々のほうがはるかに逞しく、いじらしくすら思えるはずではないか。だとすれば、結局自分が札幌か、あるいはそこに列する都市に帰着するのは、かつて暮らした街に対する愛着とか、そういう月並みな感情に導かれてのことではないのか。

もちろんそれを否定するのは難しい。けれどもやはり、気候を退けてまで煌びやかな「文明」を成立させようとする人々の息吹こそが、自分を北の大地へと惹きつける最大の因子であることは間違いなかった。そしていま、自分は3日目にして初めて「北海道」に降り立とうとしている。もはや札幌からの脱出に焦がれ、札幌への帰還に肩を落としていた自分が、いまの自分には別人のように思えた。

札幌の街を歩いていると、自分はどうも気恥ずかしくなる。自分が未練がましい人間であると思ったり思われたりすることは、否定こそできないものの自分の本意ではなかった。酸いも甘いもへったくれもなかった大学生活を大事そうに回顧するのも我ながら滑稽だと思った。だけれども札幌の早すぎる冬の訪れや、静かで深い冬そのものは、確実に自分の核心のある部分と共鳴し合っていた。自分と札幌との関係を「懐古」や「愛着」の一言で片付けたくはなかった。それは札幌でなくてはならなかったのだと、そう思いたかった。それが真であるか偽であるかは、おそらく自分のその後の人生が実証するだろう。けれども、もはや自分の人生に通奏する季節は冬であり、その冬とは降り積もった乾雪を踏みしめて歩く「あの冬」でしかないのだ──そうした確信を抱きつつ、レジ袋いっぱいの「やきそば弁当」と共に、自分は北の大地を後にした。



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