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定点観測

noteを開設する以前、自分は述懐のはけ口をInstagramに求めていた。突如として投下されるに長文に友人からは「なんなんだあれは」と突っ込まれることもしばしばで、いつしかそれは「怪文章」と自嘲気味に呼称されるようになった。

noteを開設してからは「怪文章」が投稿されることもめっきり減ったが、自分にとってちょっとした特別な日である12月8日にはその名残で、毎年そのとき考えていたことを写真を添えて載せるようにしている。その原点について思い返すと、3年前の12月、そのときの自分には成人を迎えたという事実が重くのしかかっていた。今からするとそう長くもない文章だが、切実に考えていることを表出する必要に迫られていたのである。これは日頃行っている自省の中で最も痛切なものの総集編であり、自分の大学生活4年間の総集編でもある。

2017年12月8日

1年前のある熱帯夜、耳障りな蚊の羽音で目を覚ました。自分が「おすだけベープ」をひと吹きすると、程なくして羽音は聞こえなくなった。自分は「ハハハ、人間の科学力を思い知ったか!」と内心で勝ち誇ったが、それも束の間、種ではなく個体としての自分は未だ何も成し遂げていないという事実に思い当たり、いよいよ寝付けなくなった。

まもなく自分は弱冠を迎える。しかしこのような性分だからであろうか、自分は未だ何も成し遂げていないという強迫観念に苛まれるあまり、歳を重ねることを素直に喜べないでいる。

昨年はその最たる年であった。高校生でも大学生でもない。1年という時間と少なからぬ金額を質に入れたものの、何かを得られる保証もない。何もかもが未確定で足下も覚束ない状況の中で、歳を重ねることは焦り以外の何ももたらさなかった。

はたして自分は大学へと入った。しかし充足を得たのも束の間、程なくして自分は元の何も成し遂げていない人物へと戻った。資産、職、実績、交際相手のいずれをも持たず、十年先を見通すことすら困難な世情においては、大学が自分を幸せにしてくれる保証もない。寄る辺のない航海は続いている。むしろ、究極に不確定であった昨年の方が救いようがあったかも知れない。偏差値でしか充足を得られない浪人生活の中、偏差値に見放された自分は己の価値を他に見出さんとすべく、あらゆる野心にあふれていた。しかしながら、大学生という身分、仮初めの安寧を手にした途端にそれらの野心は消え去り、挑戦の蕾みは雲散霧消した。後には依然として不確定で未確定な、野心の抜け殻だけが残った。

抜け殻は明日からも、寄る辺のない航海を続けるだろう。しかし明日になれば、物好きな友人たち数名が拙宅でどんちゃん騒ぎをすることになっている。全ては不確定で未確定ではあるが、拙宅に赴いてくれる人物がいるという数少ないこの事実を大切にすれば、もう1つ歳を重ねられるだろうか。

写真: 徳山駅 2008/1/12

2018年12月8日

拝啓

年もおしせまり、何かと忙しい頃となりました

たしか6年前のこの時分は受験勉強に息も絶え絶えでしたね。自分は幸いに元気です。

君が気にかけていた政権交代は実現し、このとき成立した安倍政権はいまも続いています。驚いたでしょう。

君がハマっているであろう坂本龍一の曲の数々は、今も大事に聴いています。君の審美眼に感謝します。

もちろん生活は充実…… しているのでしょうか。

自分にはわからない。

友人には大変恵まれています。

けれども、今の自分はそれだけでは満たされないのです。

潔白に生きてきたと自負しています。

けれども、今の自分はそれだけでは済まされないのです。

自分を大切に生きてきました。

けれども自分を取り巻くこの世の中は、自分だけのものさしで自分を測ることを許してくれないのです。

かけがえのない自分を築き上げてきました。

けれどもこの歳になると、積み上げられた自分と理想とのギャップを前に、大きな無力感に苛まれるのです。

6年後のきみは逼塞し、藻掻き足掻いています。

しかし21年の歳月は、自分に答えなど授けてくれはしません。過去の自分は、この問いを前に沈黙を続けています。

そう、自分はいま足跡のない、新雪の上を歩いているのです。

寄る辺のない航海は続いています。そしてこれからも続いていくことでしょう。

そろそろ今を生きに戻らねばなりません。

6年後に会いましょう

敬具

平成30年12月8日

写真: 2012/8/5

2019年12月8日

「真人間」という言葉がこのところ心にのしかかっている。真人間とはいったいなにか。自分は真人間であることができるのか。

高校に入ったころから何かがおかしくなった。「勉強・部活・行事の三兎を追え」と強迫されていた高校時代、ふとしたことから小説を書くようになって、小説のために無駄な経験などというものは存在しないということに気付いた。勉強・部活・行事以外のいかなる経験も、自分の血となり肉となって作品に還元される。そして「小説」をそのまま「人生」に置き換えたとき、自分は何かに「集中する」ということそのものについてその是非を疑い始めた。受験生だから勉強に集中する。それ以外のものは我慢する。そういったことを当然としながら自分は中学高校と生きてきた。けれども「何かに集中するということは別の何かを捨てることなのだ」と再認識したときから、集中は絶対的な善ではなくなり、散漫は悪ではなくなった。「集中する」ということが相対化されたと言っていいかもしれない。以来自分はあらゆる尺度を持って行動を測り、たとえ短期的には結果が望めないようなことでも、長期的により自分のためになると思ったことは抑圧しないようになった。高3の冬、同級生が机にかじりつく中でも好機があれば霞が関に赴いたり、被災地を訪問したりした。たとえそれが数ヶ月後の入試の結果に反映されないアクションであっとしても、少なくともその時間青チャートを解いているよりも大きな学びが得られると踏んでの行動であった。とある同期はそれを「井上氏が遊んでいる」と評して憚らなかったが、確信に裏打ちされた行動が揺らぐことはなかった。それは浪人生という身分になっても変わることはなく、勉強に集中するためにツイッターを去って行く同期を自分は内心軽蔑していた。人との交歓が第一という信条から、浪人中であっても同期と会える機会があらば努めて出かけて行った。

やっとの思いで転がり込んだ大学で、自分は束の間の安寧を手に入れた。兄弟のいない自分は、節制を努めれば生活に困ることのない程度の援助を親から受けることができた。「食っていく」という現実に煩わされることなく自由に思考を遊ばせるだけの余裕を手にしたのである。折しも文学部への本配属を前に、文化人類学という学問に出会ってしまったことが自分の相対化遊びを加速させた。それは「自らの当たり前を問い直す」ことを旨とした、自分にお誂え向きの、しかしある意味で酷な学問であった。文化が相対化され、性別が相対化され、開発が相対化された。自らの内から「確固たるもの」が目に見えて減っていき、相対化の海の中で自分は途方に暮れた。「確固たるものが減っていき生きづらさを感じる」という自分の訴えにとある哲学科の教員は、「確固たるものがないと生きていけないという固定観念に囚われていないか」という指摘で返した。学問に足を踏み入れている以上、悩みすら相対化してしまえという叱咤であり激励であった。

大学3年の今年、現実から離れた学生生活を存分に送っていた自分を強大な現実が脅かし始めた。「理屈をこねていても生きていけないぞ」という事実は確かな脅威であった。けれども自分は就活という名の現実に素直に回帰することができなかった。降って湧いた「やるべきこと」に集中し、目の前の研究を蔑ろにすることを許そうとしなかった。もっとも、それは全くをもって確信に基づいた行動ではなかった。ただ単に、何が正しいのかもわからない以上、そして今はまだ現実からの遊離を一応は認められている以上、もっとも確かに重要であるらしい目の前のことに当たろうとしただけのことだと思う。ただし現実に脅されただけでは、どうにも自らの体を動かすことができなくなってしまったのは確かなようだ。多かれ少なかれ人が自身を律して生きているとすれば、相対化遊びの末、少なくとも自分はそれがかなり不得手な部類に入ってしまった。そして八方塞がりの自分に現状が問う。「理屈をこねて、嫌なことから逃げているだけではないのか」。「人とは違う生き方を志した先に、君は何を手に入れたのか」と。

ちょうど2年前の今日に自分は「成人」を迎え、「人」になったと思いきや今度は「社会人」になることを要請されている。もし社会人になることがすなわち「真人間」になることだとしたら、結果として半ばそこに背を向けている自分は真人間に程遠いだろう。いや、相対化の名のもとに自らを律する手綱を緩め、これといって何を成し遂げることもなくやってきた自分が真人間であるはずがない。多くの真人間に備わっている目標を定めそこに最短で向かおうとする気概、そのために何かを犠牲にするだけの覚悟、不本意なことを足を引きずってでも遂行する能力、そのいずれもが自分には欠如している。この期に及び、もはや自分は目下すべきことから逃げてまで何をやりたかったのかわからなくなってきた。もう年貢の納め時かもしれない。自分に嘘をつき、真人間への一歩を踏み出すのも時間の問題かもしれない。

撮影日: 2019/11/4

2020年12月8日

大学1年の冬から毎年決まって「怪文章」を載せていたおかげで、過去の自分が何に苛まれていたのかを長期的に観測できるようになった。3年前の今日、自分は「未だ何も成し遂げていないという強迫観念」に苛まれていたらしい。2年前の自分は、中学3年の自分に宛てた書簡の中で「積み上げられた自分と理想とのギャップを前に、大きな無力感に苛まれる」と告白している。昨年の今日の自分には「真人間」という言葉が重くのしかかろうとしていた。そして今年、自分がどこか安閑としているのは、口癖であった「寄る辺のない航海」が終わりを告げようとしているからだった。自分は今年少なからぬ労苦と引き替えに当面の行く先を決定させた。かくして自分は行き着く先を見出すと同時に進路を開通させることに成功した。安閑はその裏返しに違いなかった。それと同時に、自分は自らが平凡な何かであることを立証することにもまた成功した。

「何も成し遂げていないという強迫観念」は過去のものとなった。足下の不確かさにも当面おびえる必要はなくなった。おそらくこの先も、あるときの切実な悩みが時と共にいつの間にか過去のものとなっている、そのような経験を重ねながら生きていくのだろう。人はみな生きる理由を必死に考えているうちに死んでゆく。終止符が打たれれば、問いはその瞬間意味を持たなくなる。過去を顧みて、「あの頃は若かった」「青かった」と照れ隠しに自嘲することも可能になる。

だが、たとえそれがどんなに青臭くて正視に耐えない悩みであったとしても、自分は過去の自分を嘲笑する気にはなれない。それは「老い」を認めたくないがための反抗なのか、あるいは過去の自分に対する尊敬なのかよくわからない。ただおそらくは自分がまだ「子供」の側にいて、あらゆるものを得るのと引き替えに数多の悩みを置き去りにしてきた「大人」を目の敵にしているとか、そういった幼稚な理由なのだと思う。

老いとはすなわちあらゆるものを確定させていく過程なのだとすれば、それは必ずしも忌むべきものではない。人は一度決めたことは「過去」として脳裏から追いやることができる。回想はなされれど、悶えるような切実な悩みとなって俎上に舞い戻ることはまずない。そうしてひとつ、またひとつと安閑を手に入れて、やがて枯淡の境地へと達するのだろう。そして瑞々しさは遠い海原へと置き去りにされる。

結局自分が過去を愛でることに固執するのは、安閑の上にあぐらをかきたくない、その気になれば青々とした海原にいつでも戻れるのだという強がりにほかならないのだろう。振り返れば自分が写真を撮り始めたのも、失われゆくものへの未練が人一倍強かったが故のことであった。選択、そして確定と同時に失われるもの ──さしあたり「可能性」とか──を手元に置いておきたいがために、自分は陽炎に揺らめく過去の自分にまなざしを注ぎ続ける。そして人がいろいろなものを積み重ねる傍らで、自分はいつまでも航海の夢を見て生きていくのだろう。

写真: 2017/9/24

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