しゅりの開拓物語

平成3年青年海外協力隊員として南米パラグアイへ。 脱サラして平成14年高知県三原村へ移…

しゅりの開拓物語

平成3年青年海外協力隊員として南米パラグアイへ。 脱サラして平成14年高知県三原村へ移住。 消滅集落21,000㎡を開拓して放し飼い養鶏を行うが、 獣害と度重なる台風によって廃業、全てを失う。 現在、農場復活に向けて奮闘中の物語です。

記事一覧

負けるもんか~!

2008年 台風が過ぎ去ったあとのお話 台風が過ぎ去ったあと もっとも優先すべきことは 生きとし生けるものすべてに 絶対に必要な水 水源復旧工事です! 台風シーズンの…

大自然という名の神の試練

消滅集落での開拓生活において 最も恐ろしいもの それは、台風です! 高知県西南地域は、毎年多くの台風が通過します。 通過するたびにさまざまな被害があります。 農場…

運命を変えた一本の電話

2008年頃のお話 ある日一本の電話がかかってきました。 私  ありがとうございます。しゅりの里藤田です。 先方 スミマセン。私テレビ東京の者ですが。 私 え? 番号…

奇跡の出会い①

高知県幡多郡三原村は高知県の西部に位置する小さな山村で、 四万十市、宿毛市、土佐清水市に囲まれている村で、 東京から時間的距離が最も遠い村とも言われており、 営業…

まったくデタラメな営業

2006年頃のお話 外貨を稼ぐために インターネット通販を利用しようということでしたが、 いきなり楽天やYahooに直営店を構えることは 運営費などを考えると不可能でした…

外貨を稼いで雇用を創出しよう!

2005年~2009年頃のお話 高知県幡多郡三原村 人口1,394人のちいさな村で、 自然豊かな、それはそれは美しい村です。 農場のお祭りを開催して以降 痛切に感じ始めたことが…

農場のお祭り♪

2008年のお話 2002年、なけなしのお金で開拓生活を始めてから 少しずつコツコツと・・・。 6年後の2008年、しゅりの里祭りを開催することにしました。 それは、今まで…

ゲストハウスの建設

2005年のお話 私たちが住む農場から外へ出るためのアクセス 県道21号線  その道は四国霊場88ヵ所巡礼の遍路道でもあり、 歩き遍路さんたちがさまざまな想いで通っていか…

わが子の誕生と農場の基本理念

2004年のお話 大草原の小さな家に魅せられ はやくチャールズとうさんのようになりたかったけれど なかなか授からなかった子宝・・・ この子が妻のお腹に宿った時 まさに…

世の中とは隔絶された生活

2003年~2008年までのお話 農場は山に囲まれていて,テレビは映りません! NHKの受信契約を解除に行ったとき 映らないことなんてないでしょ?って 現地調査に来ましたが・…

人とのご縁とつながり

2003~2007年頃のお話 私は、実に幸運なことに、 本当にたくさんの人との不思議な出会いによって さまざまな人生の岐路に立った時 さまざまな苦境に陥った時 さまざまな…

もしあの時、あと一軒行かなかったら?

2003年のお話 卵を産み始め営業を開始しましたが さっぱり売れません! 在庫の山・山・山・・・。 ゼンリンの住宅地図に 1~100まで数字を入れて回ってましたが これで…

販売戦略をたてる!

2003年のお話 生産したたまごを、どうアピールして売っていくかが大切! これを痛感した私は、販売していく為にどうしたらいいか考えました。 ① 商品を売るのではなく…

さっぱり売れません!

2003年のお話 簡単に売れるだろうと安易に 販売をスタートしましたが、 世の中そんなに甘くありませんでした! 当時、高知西南地域で販売されていた 状況は、スーパーで…

農場の開設そして販売開始!

2003年のお話 2002年8月に、消滅集落セキゼに入植して、 終わることがないと思われた開拓作業が終わり ようやく農場を開設することが出来ました。 記念すべき最初の鶏の…

開拓小屋の完成と農場の開設!

2003年2月からのお話 予算が少なすぎて、 とにかく安く、建てなければいけません! ダイちゃん・坂本さん・さとり・しーちゃんたちが ボランティアで手伝ってくれて、進…

負けるもんか~!

負けるもんか~!

2008年 台風が過ぎ去ったあとのお話

台風が過ぎ去ったあと
もっとも優先すべきことは

生きとし生けるものすべてに
絶対に必要な水

水源復旧工事です!

台風シーズンの秋とはいえ
ココは南国高知 まだまだ暑いのです。

鶏さんたちは、水を飲むことで
体温を下げることが出来ます。
水がなければ、死を意味します。

この時私たちは約3,000羽の鶏さんを
飼育していました。

3,000羽の鶏さ

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大自然という名の神の試練

大自然という名の神の試練

消滅集落での開拓生活において
最も恐ろしいもの

それは、台風です!

高知県西南地域は、毎年多くの台風が通過します。
通過するたびにさまざまな被害があります。

農場では、テレビは見えず
ラジオは聞こえないため
台風情報など全く把握できません。

なんといっても役に立つのが、
ネットの米軍の台風情報でした!

〇月〇日〇時 どこを通過するか?
こまめにチェックして

窓という窓すべてに
雨戸をつ

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運命を変えた一本の電話

運命を変えた一本の電話

2008年頃のお話

ある日一本の電話がかかってきました。

私 
ありがとうございます。しゅりの里藤田です。

先方
スミマセン。私テレビ東京の者ですが。


え? 番号あってますか?

先方
あの~・・・
なんでもすごい山奥で開拓生活されてるって
聞いたんですがホントですか?


は? ええ まあ・・・。

先方
あ、申し遅れました。
私、テレビ東京の制作部の小林といいます。


あ、ハ

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奇跡の出会い①

奇跡の出会い①

高知県幡多郡三原村は高知県の西部に位置する小さな山村で、
四万十市、宿毛市、土佐清水市に囲まれている村で、

東京から時間的距離が最も遠い村とも言われており、
営業することにおいて、最も不利と言える場所です。

そんな村に移住して、農場を立ち上げたわたし・・・。

そんな農場の知名度を上げ、販売を伸ばしてくれたのは
2人の方との奇跡の出会いによってでした。

まず1人目は、こうち暮らしの楽校の松田

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まったくデタラメな営業

まったくデタラメな営業

2006年頃のお話

外貨を稼ぐために
インターネット通販を利用しようということでしたが、

いきなり楽天やYahooに直営店を構えることは
運営費などを考えると不可能でした。

ならば、既存の販売店に売ってもらおう!ということで

問い合わせフォーマットがある店舗を
100店舗ほどピックアップしました。

それらすべてに、営業文を送付!
あとは返事待ち という作戦です。

まったく返事が来なけれ

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外貨を稼いで雇用を創出しよう!

外貨を稼いで雇用を創出しよう!

2005年~2009年頃のお話

高知県幡多郡三原村
人口1,394人のちいさな村で、
自然豊かな、それはそれは美しい村です。

農場のお祭りを開催して以降
痛切に感じ始めたことがあります。

それは、三原村を車で走りますと、
全くといっていいほど
若い人には会うことはありません。

若い人たちが沢山いる時期は、
お盆と正月くらい・・・。

それが、こんなにも沢山! 
実は若い人は沢山いるのです。

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農場のお祭り♪

農場のお祭り♪

2008年のお話

2002年、なけなしのお金で開拓生活を始めてから
少しずつコツコツと・・・。

6年後の2008年、しゅりの里祭りを開催することにしました。

それは、今までお世話になった地域の方々や
宅配でいつも買い支えて下さるお客さま

そして、まだまだ認知度が低い私たちの農場を
見に来てほしい! ファンになってほしい!

そんな気持ちから開催することにしたのでした。

そうはいっても・・

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ゲストハウスの建設

ゲストハウスの建設

2005年のお話

私たちが住む農場から外へ出るためのアクセス
県道21号線 

その道は四国霊場88ヵ所巡礼の遍路道でもあり、
歩き遍路さんたちがさまざまな想いで通っていかれます。

農場は、県道から1.5㎞ほど入った所ですが
県道とはいえ、街灯はまったくありません!

真っ暗 漆黒の闇
そう・・・文明の灯りはなく、夜は漆黒の闇に包まれます。

民家は全くありません!

夜になって真っ暗になった

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わが子の誕生と農場の基本理念

わが子の誕生と農場の基本理念

2004年のお話

大草原の小さな家に魅せられ
はやくチャールズとうさんのようになりたかったけれど

なかなか授からなかった子宝・・・

この子が妻のお腹に宿った時
まさに天啓が下ってきました。

お腹の子に 安全で安心なものを 食べさせたい!
そう思った時から、

鶏さんに使用する飼料原材料が、とても気になるように・・・

一つ一つ 原材料を吟味して
これならば使いたい、これならば食べさせたい

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世の中とは隔絶された生活

世の中とは隔絶された生活

2003年~2008年までのお話

農場は山に囲まれていて,テレビは映りません!

NHKの受信契約を解除に行ったとき
映らないことなんてないでしょ?って
現地調査に来ましたが・・・、

スミマセンでした。
ホント映らないんですねえ!って
笑いながら契約解除に応じてくれました。

ラジオも聞けません!
ザーっていう音が流れるだけ・・・(苦笑)

台風が通過した時でも情報がゼロ!
ただただ恐怖以外の

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人とのご縁とつながり

人とのご縁とつながり

2003~2007年頃のお話

私は、実に幸運なことに、
本当にたくさんの人との不思議な出会いによって

さまざまな人生の岐路に立った時
さまざまな苦境に陥った時

さまざまな学びと教えを受けて、
助けられて・支えられてきました。

たまごがまったく売れず、
農場での生活をあきらめかけましたが、

小林のおばちゃんとの出会いによって
なんとか首の皮一枚のところを救われました。

そこから紹介・紹介

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もしあの時、あと一軒行かなかったら?

もしあの時、あと一軒行かなかったら?

2003年のお話

卵を産み始め営業を開始しましたが
さっぱり売れません!

在庫の山・山・山・・・。

ゼンリンの住宅地図に
1~100まで数字を入れて回ってましたが

これでは甘い!ということで、
1日300軒 訪問することにしました。

軒並み訪問を毎日

なんとか売れるだろうって
簡単に思ってたら大間違いですねえ!

ま~ったく 売れず.....。

在庫の山の日々は続きました!

挙げ句

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販売戦略をたてる!

販売戦略をたてる!

2003年のお話

生産したたまごを、どうアピールして売っていくかが大切!
これを痛感した私は、販売していく為にどうしたらいいか考えました。

① 商品を売るのではなく、家族・人間を売ること

② トレーサビリティ 飼料の中身まで全て公開すること

③ 商品を売るのではなく、農場を売ること

以上3つのことを徹底し、お客様にアピールすることにしました。

このおかげで、少しずつ少しずつ・・・・・。

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さっぱり売れません!

さっぱり売れません!

2003年のお話

簡単に売れるだろうと安易に
販売をスタートしましたが、
世の中そんなに甘くありませんでした!

当時、高知西南地域で販売されていた
状況は、スーパーで安売り特価で
販売していた卵が主流で、
 
1個40円(当時の価格)なんて、
高いって、どこへ行っても言われました。

また、卵の外観に
はんこを押しているとはいえ、
中身がどんな物か、味がどんな物か
なんて分からなかった物ですか

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農場の開設そして販売開始!

農場の開設そして販売開始!

2003年のお話

2002年8月に、消滅集落セキゼに入植して、
終わることがないと思われた開拓作業が終わり
ようやく農場を開設することが出来ました。

記念すべき最初の鶏のヒナもきました!

資金にも限りがありましたし、
最初は500羽からのスタートでした。

パラグアイでそれ以上の鶏を飼ってましたし、
何とか売っていけるだろうと考えていました。

卵も産み始め、やはりあの時と同じくはんこを押し

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開拓小屋の完成と農場の開設!

開拓小屋の完成と農場の開設!

2003年2月からのお話

予算が少なすぎて、
とにかく安く、建てなければいけません!

ダイちゃん・坂本さん・さとり・しーちゃんたちが
ボランティアで手伝ってくれて、進行していきました。

まず、サッシ・風呂・柱・木材・トイレの便座
タンクに至るまで、

あらゆるものをリサイクル(中古)の物を調達してきては、
それにあわせて建物の設計を考えて建てていく。

こういった非常に面倒でややこしいことか

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