しゅりの開拓物語

平成3年青年海外協力隊員として南米パラグアイへ。 脱サラして平成14年高知県三原村へ移…

しゅりの開拓物語

平成3年青年海外協力隊員として南米パラグアイへ。 脱サラして平成14年高知県三原村へ移住。 消滅集落21,000㎡を開拓して放し飼い養鶏を行うが、 獣害と度重なる台風によって廃業、全てを失う。 現在、農場復活に向けて奮闘中の物語です。

最近の記事

ドラム缶でストーブと風呂!

2003年1月頃のお話 水が自由に使えるようになりましたが あまりにも寒いのです。 南国高知といえど三原村は山間部 蛇口から少しずつ水を出しておかないと 凍ってしまいます。 この年は3回ほど 20㎝ほどの雪も積もりました。 おまけに鶏舎の開拓小屋 壁はむしろを吊ってるだけですきま風だらけ 雪が降ると、部屋に舞い込んできます。 作った一斗缶ストーブでは 十分な暖がとれません! 極めつけは作業が終わって 川で体を洗う・・・・ もはや修行としかいえません! そこで、車

    • 開拓地に水が来た!

      2002年11月~12月頃のお話 水源を発見した私は、翌日から復旧工事にかかりました。 一人ですし、川を泳いで渡らないと行けませんから(胸まで浸かって歩く) たくさんの物を持っていけません。 泳ぐということは、寒い冬の最中、着替えも必要です。 ただしこの時期、冬ということもあって 川の水位もすごく低かったので、腰の高さで歩いて渡れました。 1. 水源までの道の整備 急こう配の箇所は、滑落の危険性もあるため。 ロープを持参して命綱としました。 2.水源土砂の撤去

      • 水源の捜索 そして発見!

        2002年11月頃のお話 元住民のおじいちゃんの貴重な情報を頼りに まずはコンクリートブロック付近のエア抜きバルブの捜索を開始しました。 コンクリートブロック付近は笹林となっており、 まずは切り拓かねばなりません! 切り拓き、捜索しますと・・・ありました! 長い長い間、土に埋まりかけていた真鍮製の大きなバルブ バルブはまったく回りません! 少しずつばらして とりあえずここからさらにたどっていきます。 笹林・森の中を抜けると川が現れ、 朽ちかけたワイヤーに辛うじて黒

        • 元消滅集落住民の来訪

          2002年9月〜10月のお話 貯水タンクからどこに配管されてるのか? 皆目検討がつきません。 途方にくれていたその頃、 うっそうとした笹の林であるものを発見しました。 開拓記念碑です。 これは大事なものに違いないと周囲をきれいにしてた時のこと きれいにしてくれような! 見知らぬおじいちゃんに声をかけられました。 普段 誰もいない 来ないこんなところに おじいちゃんはニコニコして立っていたのです。 おまんかよ ここに移り住んじょうのは? オラはここのもんじゃったが

        ドラム缶でストーブと風呂!

          開拓生活のスタート!

          村の公募期間の1ヶ月が経過して、 正式に貸してもいいという連絡がきました。 2002年8月、セキゼ養鶏施設東区画約7,000㎡の土地を 村から借りました。 いよいよ 開拓生活のスタートです! 区画図はあるのですが、ジャングルになっていますので、 区画なんてないものと同じですが・・・(苦笑) 始めにジャングルのような土地の開拓から開始しました。 中には沢山の木も生えており、途方もない時間が過ぎていくのでした。 草木を刈り取るにつれて、鶏舎が見え始め 5坪ほどの鶏舎が6

          開拓生活のスタート!

          あなたは何処の馬の骨ですか?

          2002年のお話 私を虜にした消滅集落セキゼは、 見に来ていただいた方ならよく分かると思いますが、 50,000㎡以上の広大な土地で すぐ下にはきれいな川まである、それはそれは美しい所です。 早速、村役場へ問い合わせに行きました。 しかし、 どこの馬の骨か分からない者に、村の貴重な土地は貸せません 当然といえば当然です! 移住者がいきなり土地を貸せなんて・・・。 私でも警戒しますよ! 当然、散々たらい回しされた末、 何の収穫も答えも出ませんでした。 それで普通

          あなたは何処の馬の骨ですか?

          理想の土地を求めて

          2,001年頃のお話 ホテルでの掃除の仕事は、私たちのとって非常にありがたいものでした。 アルバイトとはいえ、2人で行けば1万円近くになりました。 しかもその日払いです! 困窮した生活を送っていた私たちにとっては、 まさに九死に一生を得たようなものでした。 しかし、そんな生活もずっと続くはずもなく、 ホテルにお客様が沢山来られたときだけ、 2人で仕事が出来て普通はどちらか1人だけが仕事が出来る状態でしたので、 楽になったとはいえ生活は相変わらず苦しいものでした。

          理想の土地を求めて

          落ちるとこまで落ちた生活

          2,000年頃のお話 土佐清水市へ無事移住しましたが、 前年の収入からの税金や保険料や年金は尋常な額ではなく それまでの蓄えなど、あっという間に底が尽きていきました。 絶対に手を付けてはいけない、わずかな農場開設資金を残して。 それからの生活については、お米も食べられない生活! ご近所の方が心配しておからや芋を差し入れて下さり お米なしの生活をしばらくの間、送っておりました。 いただきまーす 手を合わせて頂くのは、1杯の茶碗に入ったおからや芋でした。 非常にありが

          落ちるとこまで落ちた生活

          仕事を辞めた翌年は大変です!

          2,000年頃のお話 希望に胸を膨らませて脱サラした私は、家探しから開始しました。 希望は、農地付きの家。 車を走らせて空き家があったらすぐさま近所の人に聞いてみます。 持ち主は誰で貸してくれそうかなど・・・。 しかし、そんなには甘くありません! どこの馬の骨とも知れない人間に、はい、そうですかと すぐに貸してくれたり、お話をしてくれるはずもありません。 しかしながら、営業で培った経験は大きく、どこへでも飛び込んで 誰とでも堂々と物怖じせず話が出来るようになっており

          仕事を辞めた翌年は大変です!

          決心したきっかけ

          今から20数年前のお話 高知へ転勤して2年経った頃でした。 私は「農場を持ちたい!」ということで、サラリーマンになったはずでした。 しかしながら、日々の業務に忙殺され 社員たちの生活がかかってるという思いから、 自分自身の夢なんて、頭の片隅に追いやっていました。 しかし、土佐清水市に出張してきた時に、ある人との出会いがありました。 それが私の人生を変え、農場開設に至ったきっかけでした。 足摺岬近くの窪津漁港にて、不思議なおじさんを発見しました。 そのおじさん、ただた

          決心したきっかけ

          転勤 高知へ

          今から20数年前のお話 入社して3年の月日が経ちました。 その頃に私は係を任されておりましたが、ある日所長に呼ばれました。 今回、高知に○○が所長として行く お前も一緒に行って、営業所を支社にしてきなさい! 高知への突然の転勤辞令でした。 高知への突然の転勤辞令でした。 それが後に、まさか高知で農場を開設することなんて、 全く想像しておりませんでしたが、 この頃の私は仕事にやりがいも感じておりましたので、 よーし!支社にするぞ!と息巻いて高知へ行くことになりました

          入社1ヶ月でクビですか?

          今から26年前のお話 いつか自分の農場を持とう!  そんな目標を持って、飛び込みセールスマンになった私は 松山の支社に配属されました。 営業という仕事は、 いくら頑張っても売れなければ、仕事をしてないことと同じ。 サボっていると見なされる仕事です。 営業成績が全てで、数字が全ての世界です。 最初は人と話をすることや、目を見て話す事が出来ず、 全く売れない日々が続き、休日返上して営業に出ておりました。 ある朝、所長に呼び出されました。 「お前、今日売れなければクビ

          入社1ヶ月でクビですか?

          人生をかけて夢中になれるものは何か?

          今から30年ほど前のお話 協力隊に参加することが目標だった私は、 帰国してからは、目標を失くし,ひたすら怠惰な日々を過ごしていました。 人生をかけて夢中になれるものは何か? ただそれだけを考えておりました。 しかしながら、目標を達成してしまったこと南米で全力を出し切ったことでそれ以上の魅力あることを探し出すことは容易ではなく、 脱け殻のようになっておりました。 復学した大学へもほとんど行かず、何もする気力すら湧かず ただ時間を過ごす怠惰な毎日。 朝昼が逆転して寝て過

          人生をかけて夢中になれるものは何か?

          浦島太郎?

          今から30年以上前のお話 パラグアイを離れ、日本への帰路についた私にとって、 機内から見えた富士山は帰ってきたという実感と 感慨深いものがありました。 空港ロビーに到着してまず、あまりの変わりように驚きました! 以前は風を切って歩いていたのが、みんな肩をすぼめて歩いている! 街全体が明るいイメージだったのが、寒くて暗~いイメージに! 人の目も生き生きしてたのが、まるで魚の死んだ目のよう! これが本当に今まで育ってきた我が祖国なのかと目を疑いました。 何もかも変わり浦

          帰国 別れの時

          今から30年以上前 南米パラグアイ 任期が満了して、帰国の時がやってきました。 村の人たちが口を揃えて またすぐ帰って来てくれるんだよね? いつ帰って来られる? と聞いてくるので、 飛行機で38時間だからいつでも帰ってこられるよ。 と答えました。 私自身、ずっとここで一緒にいたいと思いましたし、 苦楽を共にした家族でしたから、 別れの時はとてもつらく寂しいものでした。 正直この時期の私は、迷っておりました。 日本に帰国してすぐに移住して彼らと共に生活したいという気

          帰国までのカウントダウン

          今から30年以上前 南米パラグアイ 沢山の経験と驚き・学びの日々でしたが、 任期終了による帰国の日は刻々と近づいておりました。 青年海外協力隊 は通常2年の任期で 交代の隊員が必要に応じて何ヶ月か重なって 引継ぎをしてから帰国することになっています。 しかしそれは一般的な職種の比較的応募の多い職種に限っての事で、 私のような専門性の高い職種は、交代の隊員の応募待ちというのが 現状でした。 前回の苦悩を書きましたが、 それは私の交代要員が来ないということも原因の一つでし

          帰国までのカウントダウン