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随想(詩について)

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#現代詩

「石畳」という名詩があった。

先日、Xに書いたように、ぼくが昔読んで忘れられない詩としてとりあげた「石畳」という詩のコピーを、佐野豊さんが送ってくれた。ありがたい。

こんな詩だ。



あんまり黙っていると
口の中に石ができる
あんまり静かなので
口だけでも開いておこうと思うのだ
あんまりなにも言わないでいると
口の中の石畳が十畳二十畳と拡がっていく
あんまり暗い所にひとりでいるので
口を寝具のようにたたんで眠りたい

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詩を書く、ということの源とは

詩を書いていれば、人にわかってもらいたいと思うのは自然な感情だ。自分が書いた詩を、人に認めてもらいたいと願っても、決して恥ずかしいことではないと思う。

でも、詩を書く、ということの源は、そんなこととは別の場所にあるのではないかと思う。

詩を書くということの源は、自分の詩を確立したい、という、単にそれだけの願いなのではないだろうか。すくなくともぼくはそうだった。

むろん、それまでに好きな詩人の

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詩を書くことの意味を考えてみよう。

ひとつの例を見てみよう。

(例1)Aという人が、ある詩に感銘をうけた。その人は、自分も詩を書いてみたいと思った。書いてみた。思ったよりも素敵な詩が書けた。人に見せたら、よい詩だと言われた。詩集を出し、賞をもらい、詩を生涯書き続けた。

多くの詩を書こうとする人は、自分がAになりたいと夢見ているのかもしれない。ところが、現実はままならない。Aになる人もいる。でもすべての人ではない。

もうひとつの

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詩人になるというのはどういうことなのか。

いつだったか、Zoom教室での対談で、野木京子さんに、「詩人になるというのはどういうことなのか。」という質問をしたことがありました。

その時に野木さんは、少し考えた後で、「やってくる仕事を、こなしてゆくことです。」と答えてくれました。ぼくはそれを聞きながら、「なるほどな、ああ、たしかにそうだな」と思ったのです。

詩人というのは
多くの詩集を出してゆくこと
という答えではなく

詩人というのは

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ぼくのビートルズ

ぼくの年代の人(70代)が若い頃に、いかにビートルズに魅入られたか、なんて文章は、世の中にはいくらでもある。

それに、ほかの年代の人だって、ビートルズの音楽を聴いて、自分も何かを作ることができないだろうかと思って、創作の道に進んだ人だって、うんざりするほどいる。

だから、今さらぼくが、若い頃にビートルズの音楽に夢中になって、それで、リバプールにたむろしていたあの若者たちのように、自分にも何かで

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55年後の「詩の教室」

55年後の「詩の教室」

ぼくは、子どもの頃からずっとひとりで詩を書いていました。九段高校に通っていた頃も、学校で詩の話をする友人は、ひとりもいませんでした。

詩は、家に帰ってから、自分の部屋で、扉を閉め、机に向かって、ひそかに書くものでした。

ですから、高校にいる間は、詩のことは、授業中に窓外の空を見上げながら、堀辰雄や三好達治のことを考えたりはしましたが、誰にもそのことを話すことはしませんでした。

けれど、ぼくの

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同人誌に入ってよかったと思う、一番のこと。

ぼくは20代で「グッドバイ」という同人誌に、創刊メンバーとして入りました。

もうずっと昔、1970年代のことです。

同世代の何人かで、一緒に詩を載せる雑誌を作ろうというのが、目的でした。

それまでぼくは、子供の頃から、ずっとひとりきりで詩を書いていたので、誰かと一緒に詩の活動をやるのは初めてでした。

ですから、ぼくの気持ちとしては、単に詩を載せるための雑誌に入ったのです。それだけのことだっ

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昔、詩をやめたことについて

昨日は、高円寺の「バー鳥渡」で、さとう三千魚さんと、詩について話しました。聴いてくれた人は8人ほどの小さな集まりでした。気楽に、いろんなことを話したのですが、その中で、詩をやめたことの話になりました。

さとうさんは、詩集を出したあと、30年間の長いあいだ、詩を書かないでいた時期があったそうです。

ぼくも長いあいだ、書かない時期がありました。同じだなと、思いました。

それで、「書いていない時期

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知っている人の活躍に、心が落ち込むのなら

ぼくが今さらあらためて言うことではないけれども、ネットとかSNSというものは、便利であるとともに、付き合ってゆくのがむずかしいものだと思う。

昔であれば、知らないで済んだことまでも、知ってしまうことがある。即座に知ること自体は悪いことではないけれども、それによって、心が乱されることがある。

たとえば、休日に機嫌よく自分の詩を書いていた人が、なんとなくSNSを読んで、知っている人の活躍を見てしま

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詩の朗読について

ぼくはかつて、池井昌樹さんと「朗読嫌いの朗読会」をやろうと約束しました。あれからもうだいぶ年月が経ってしまいましたが、未だに実現していません。

ところでぼくは、実は、朗読された詩、というものに感動したことが、ほとんどありません。

唯一、子供の頃に、テレビで観た「あすは君たちのもの」や「おかあさん」の中で朗読されていたサトウハチローの詩はすばらしいと思いました。

テレビの前で、毎週、あまりの感

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かつて「グッドバイ」という同人誌がありました。

1970年代、同人詩誌「グッドバイ」を創刊した時、わたしは20代でした。

上手宰(かみておさむ)、三橋聡(みつはしさとし)、島田誠一、目黒朝子と、わたしの5人が創刊時の同人でした。

わたしだけでなく、全員が20代だったと記憶しています。目黒朝子が最年長で、次が上手宰、それから松下育男、島田誠一と続き、三橋聡が最年少でした。でも、集まれば歳は関係なく、最年少の三橋は、目黒朝子には「目黒さん」と「

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詩の適齢期について

ぼくは若いころ、詩を書いていて、よく思ったことがあります。

どうして詩人は、歳をとってくると、緊張感の失われた詩しか書けなくなるのだろう、ということです。

自分はあんなふうにはなりたくない、詩がダメになったら、潔く書くことから離れようと、考えていました。

でも、なんということか、ぼくは人よりもずっと早くに、緊張感の失われた詩しか書けなくなりました。

それで、今、自分がもっと歳をとって、考え

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詩はなんの役にたつか

詩はなんの役にたつか、と考えれば、いくつかの答は出てくると思います。人それぞれに違うのかもしれません。

ぼくにとっては、なによりも、「生きていく支えになった」ということでした。

高校生の時だったか、普通は10代後半というのは、溌剌と生きているものなんですけど、ぼくはそうではなくて、けっこう暗かったんです。

当時から猫背だったし、若いということがむしろ邪魔でさえありました。

これといって人に

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「ためになる言葉」にもたれかからない

詩の入門書を読んだり、詩の教室で話を聴いたりしていると、詩についてのさまざまな言葉に出会います。はっとなります。いい言葉だなと感心します。

「擬人法はこうした方がいい」
「想像だけの詩はつまらない」
「詩は説明ではない」
「詩は比喩である」
「詩とは、、、」

それらの言葉に感心して、では自分もその言葉に即して詩を書こうとします。

でも、注意した方がいいと思うのです。万病に効く薬はありません。

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