詩を書く、ということの源とは

詩を書いていれば、人にわかってもらいたいと思うのは自然な感情だ。自分が書いた詩を、人に認めてもらいたいと願っても、決して恥ずかしいことではないと思う。

でも、詩を書く、ということの源は、そんなこととは別の場所にあるのではないかと思う。

詩を書くということの源は、自分の詩を確立したい、という、単にそれだけの願いなのではないだろうか。すくなくともぼくはそうだった。

むろん、それまでに好きな詩人の詩にはたくさん影響を受けてきたから、純粋に「自分の詩」を確立することなんてできはしない。でも、多くの優れた詩を享受した後に、さらにこういう詩があってもよいのではないかと、自分の個性を付け足して作り上げるのが、「自分の詩を確立する」ということにもなるのではないかと、思う。

つまり、ぼくがめざしているのは、この狭い自分の机の上に、自分だけの国(というよりも村)を作るように、自分の詩の世界を作り上げることだ。そこには寂しげな、でも決してお互いを傷つけることのない動物や人がおだやかに住み、日本語のような、でもちょっと違う、ぼくの作った言語を話す人が静かに住んでいる。それがぼくの詩だ。

そんな詩の村を作り上げる過程は、こよなく楽しい。ひとつ詩ができれば、その村の人と喜びを分かち合う。

たぶん、詩を書いてゆくことのもっとも大きな喜びは、どんなにささやかなものであっても、自分の言葉で、自分の詩を作ることができる、ということだろう。

だから、そうやって楽しく作った詩の世界が、そのあとで人にわかってもらえるか、認めてもらえるか、というのは、重要でないとは言わないけど、それほどのことではない、と思う。

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