松下 育男

詩とともに生きる。詩集『肴』(H氏賞)、他。詩の教室をやっています。現代詩文庫『松下育…

松下 育男

詩とともに生きる。詩集『肴』(H氏賞)、他。詩の教室をやっています。現代詩文庫『松下育男詩集』、詩集『コーヒーに砂糖は入れない』講演録『これから詩を読み、書くひとのための詩の教室』発売中。

マガジン

最近の記事

55年後の「詩の教室」

ぼくは、子どもの頃からずっとひとりで詩を書いていました。九段高校に通っていた頃も、学校で詩の話をする友人は、ひとりもいませんでした。 詩は、家に帰ってから、自分の部屋で、扉を閉め、机に向かって、ひそかに書くものでした。 ですから、高校にいる間は、詩のことは、授業中に窓外の空を見上げながら、堀辰雄や三好達治のことを考えたりはしましたが、誰にもそのことを話すことはしませんでした。 けれど、ぼくのように、ひそかに詩を書いている生徒ばかりではありませんでした。高校の中にも、たま

    • 2024年7月20日(土)単純な詩から、さまざまな詩へ。

      昨日は、しばらく会っていない姉からメールが来ました。「朝日新聞見たよ」と。 それから何年も会っていない友人(詩人)からもメールが来ました。「松下さんを朝日新聞に発見」と。 なので、ちょっと違う朝でした。 ネットや雑誌にどれだけ文章を書いても、親戚や友人からメールが来るなんてことはないわけで、新聞というものの伝達力というのはさすがにすごいものがあるなと、感じていました。 ところで、ぼくは子どもの頃に詩が好きになったので、子どもにも分かる詩から、詩に魅入られました。 で

      • 【お知らせ 「折々のことば」で紹介されました。】

        本日の朝日新聞朝刊、「折々のことば」で、先日のXの文章が紹介されました。ありがとうございます。

        • 俳句を読む 65 炭太祇 うつす手に光る蛍や指のまた

          うつす手に光る蛍や指のまた 炭 太祇 たしか暑い盛りだったと思います。日記をめくってみたら2006年7月16日の日曜日でした。腕で汗をぬぐいながら歩いていると、前方を歩く八木幹夫さんの姿を見つけたのです。後を追って、神田神保町の学士会館で開かれた「増俳記念会の日」に参加したのでした。その日の兼題が「蛍」でした。掲句を読んでそれを思い出したのです。あの日、選ばれた「蛍」の句を、清水哲男さんが紹介されていた姿を思い出します。さて、「うつす」は「移す」と書くのでしょうか。

        55年後の「詩の教室」

        マガジン

        • 随想(詩について)
          52本
        • 日記
          163本
        • お知らせ
          33本
        • 俳句を読む
          65本
        • 随想(人について)
          37本
        • 現代詩の入り口
          28本

        記事

          2024年7月17日(水)大切な仕事はつながってゆく。

          初めて対面で「詩の教室」をやったのは30代でした。今はもうない「詩学」という詩の雑誌が主催していた「東京詩学の会」の講師にならないかと、嵯峨信之さんに誘われたのでした。 その頃ぼくは、「詩学」の投稿欄の選者をやっていて、その関係で嵯峨さんに誘われたのです。 「東京詩学の会」は、ぼくと嵯峨さん以外にも二人の講師がいて、4人で参加者の詩の感想を、次々に言ってゆくのです。かつては石原吉郎も講師のひとりで、その頃に佐々木安美さんは生徒だったということです。 時々、その佐々木さん

          2024年7月17日(水)大切な仕事はつながってゆく。

          【隣町珈琲での詩の教室が始まります。】

          自分の詩をもっと好きになりましょう。 隣の人の詩をもっと好きになりましょう。 先達の詩をもっと好きになりましょう。 好きでいることが、めぐりめぐって、すぐれた詩を書くことにつながってゆくのだと、ぼくは思います。 一緒に詩を、もっと好きになりましょう。

          【隣町珈琲での詩の教室が始まります。】

          2024年7月16日(火) 健全に詩を書いていたい。

          ポールマッカートニーが六本木で写真展をやるというニュースを、昨日ネットで見ました。それで、自分がポールだったらと、一瞬想像してしまいました。 確かに、写真を撮りたくなるほどに、これまでいろんな所へ行ったのだろうし、いろんな人に会ったのだろうな、すぐ隣にジョンレノンが息をしていた人生って、やっぱり普通じゃなかったのだろうな、特別な人生だったのだろうなと、考えていました。 と、思ったところで、いや、そうではないのかもしれない、もしかしたらそんなことはないのではないか、とも思い

          2024年7月16日(火) 健全に詩を書いていたい。

          2024年7月15日(月)詩は楽しむものです。

          月曜日の朝ですが、本日は「海の日」なので、世間はお休みです。 ぼくはもうだいぶ前に会社勤めをやめてしまったので、毎日が「海の日」のようなものです。 ですから、曜日、というものの持つ意味が、僕にとってはだいぶ薄まっています。 毎日を平等に迎えています。 ところで、このところやっているのは、今週の土曜日(7/20)から始まる詩の教室の準備です。「隣町珈琲」での詩の教室「現代詩の入り口」です。6ヶ月続きます。頑張ろうと思います。やれることはやりきろうと思います。 今朝のX

          2024年7月15日(月)詩は楽しむものです。

          生きてゆくための優先順位について

          ぼくは長いあいだ勤め人をしていた。でも、最後まで、会社へ行くという行為には慣れることがなかった。結局、67歳で勤め人を辞めるまで、胸のつぶれるような思いで毎朝出勤していた。 それでも、月曜日の朝よりも火曜日の朝の方が気分が少しは楽だし、水曜日、木曜日と、徐々につらさは減ってゆく。家の人から会社の人へ、変わってゆくからだろう。 だから、毎日行っていれば、出勤も少しはましなのかもしれない。 つらいのは、休み明けに会社へ行く時で、特に、自分が個人的に休暇をとったあとの出勤には

          生きてゆくための優先順位について

          同人誌に入ってよかったと思う、一番のこと。

          ぼくは20代で「グッドバイ」という同人誌に、創刊メンバーとして入りました。 もうずっと昔、1970年代のことです。 同世代の何人かで、一緒に詩を載せる雑誌を作ろうというのが、目的でした。 それまでぼくは、子供の頃から、ずっとひとりきりで詩を書いていたので、誰かと一緒に詩の活動をやるのは初めてでした。 ですから、ぼくの気持ちとしては、単に詩を載せるための雑誌に入ったのです。それだけのことだったのです。 確かに、詩を持ち寄って、お互いの詩について語り合い、刺激を受けあっ

          同人誌に入ってよかったと思う、一番のこと。

          俳句を読む 64 清崎敏郎 氷屋の簾の外に雨降れり

          氷屋の簾の外に雨降れり 清崎敏郎 子供の頃、母親のスカートにつかまって夕方の買い物についてゆくと、商店街の途中に何を売っているのか分からない店がありました。今思えば飾り気のない壁に、「氷室」と書かれていたのでしょう。その店の前を通るたびに、室内に目を凝らし、勝手な空想をしていたことを思い出します。氷屋というと、むしろ夏の盛りに、リヤカーで大きな氷塊を運んできて、男がのこぎりで飛沫を飛ばしながら切っている姿が思い浮かびます。掲句に心惹かれたのは、なによりも視覚的にはっきりとし

          俳句を読む 64 清崎敏郎 氷屋の簾の外に雨降れり

          2024年7月10日(水)とても単純な日々。

          7年前に会社の仕事をやめて、振り返ってつくづく思うのは、会社の仕事というのは、適当になんかやれないものだ、とんでもなく大変なものだ、ということだ。 ぼくが勤めていた会社は、ほかの会社に比べて、わりとリベラルで、人間関係も悪くなかった。報酬にも不満はなかった。よい会社だった。 それでも仕事となると、容易なものではなかった。 会社の利益予測をしていた時期が長くあって、決算結果が年明けに出る。 当時、初詣で手を合わせて祈っていたのは、家族の幸せよりも、年明けに出てくる決算結

          2024年7月10日(水)とても単純な日々。

          2024年7月9日(火)もうひとつの詩、もうひとつの思い

          先日、テレビを観ていたら、ブルックナーが嫌われる理由、というようなことを言っていた。どうしてだろう、ぼくも以前からブルックナーは少し苦手だ。 なので昨日は、ブルックナーをずっと流しながら、詩の仕事をしていた。 「ブルックナー、悪くないじゃないか」と、感じた。 ほんとは好きすぎて嫌われる、というようなものか。 そういえば、今朝、村下孝蔵の「初恋」を聴いていたら、聴きなれない歌詞が出てきた。いつもの、「五月雨は緑色」で始まってはいた。でも途中から知らない歌詞だ。 こんな

          2024年7月9日(火)もうひとつの詩、もうひとつの思い

          【お知らせ】「詩の教室、現代詩の入り口」が7月に始まります。

          詩には、うまいのと、へたなのが、あります。 でも、詩を書きたいという、おとなしい思いには、うまいも、へたも、ありません。 それ自身の中で、精一杯な、だけです。 7月20日から「隣町珈琲」で、「現代詩の入り口」という「詩の教室」を始めます。 詩を書いたことのない方も、ご参加ください。

          【お知らせ】「詩の教室、現代詩の入り口」が7月に始まります。

          「現代詩の入り口」28 ― これ見よがしでない詩を読みたいと思うなら、さとう三千魚の詩を読んでみよう。

          ここに載せるのは、2024年7月5日に、高円寺の「バー鳥渡」での、さとう三千魚さんとの「対話&朗読会」のために用意した原稿です。 * さとう三千魚さんの詩集『貨幣について』(書肆山田)を読みながら、3つのことをしきりに考えた。次の3つだ。 * (1)言葉は突如として人生に食い込んでくる、ということ ある種の言葉(詩の一行)というものは、時に、人生とは関係なく私たちの前に突然立ち現れる。しかし、私たちはその言葉を、関係のない独立したものから、わたしたちの人生にとって意

          「現代詩の入り口」28 ― これ見よがしでない詩を読みたいと思うなら、さとう三千魚の詩を読んでみよう。

          2024年7月8日(月)日本の詩の大通りをさわやかに歩きました

          昨日はすごく暑い中を、みなとみらい線の「日本大通り駅」で降りました。「日本大通り」なんて、なんと大袈裟な名前の駅かと思いながら、約束の時間の15分前に「珈琲館」に着きました。 入ったらすぐに、佐野豊さんがむこうで手を振ってくれていて、そちらへ向かいました。篠田翔平さんもすでに来ていて、「久しぶり」という感じで話していたら、森田直さんも到着です。 小田原慎治さんは残念ながら都合がつかず、来られないということで、生きていればそりゃあ都合のつかないこともあるだろうなと思いながら

          2024年7月8日(月)日本の詩の大通りをさわやかに歩きました