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「現代詩の入り口」28 ― これ見よがしでない詩を読みたいと思うなら、さとう三千魚の詩を読んでみよう。

ここに載せるのは、2024年7月5日に、高円寺の「バー鳥渡」での、さとう三千魚さんとの「対話&朗読会」のために用意した原稿です。

さとう三千魚さんの詩集『貨幣について』(書肆山田)を読みながら、3つのことをしきりに考えた。次の3つだ。

(1)言葉は突如として人生に食い込んでくる、ということ

ある種の言葉(詩の一行)というものは、時に、人生とは関係なく私たちの前に突然立ち現れる。しかし、私たちはその言葉を、関係のない独立したものから、わたしたちの人生にとって意味があるものだと、どうしても解釈してしまう場合がある。

言葉自身は人に解釈なんてされたくないのかもしれない。ただ偶然にわたしたちの前を通り過ぎてしまったのかもしれない。

それでも解釈しようとしてしまうのは、私たちが生きているからだ。生きているから、いろんなことを考えてしまうし、考えるのはたいてい言葉で考えるから、独立して私たちに現れてきた言葉も、自分の考えの中に入れて感動してしまう。

その過程と構造が、この『貨幣について』という詩集を読んでいるとよく見える。

「脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった」は独立して現れてきた言葉だ。
「ライヒは//外に出て彼らに見せてやれ/そう言っていた」も独立した言葉だ。
「老いた姉妹のいるウィンドウのまえで/佇ちどまる」も独立した言葉だ。

多くの独立した言葉が、さとうさんの前に立ち現れ、その言葉に思考が占領され、その言葉の向きに生きていってしまう。生きていれば、そのことを詩に書いてしまう。

詩というものはそういうものだ。

同様に、この詩集を読む私たちの前にも、これらの言葉は独立して、突如として現れ、その言葉が私たちに、「詩」というものを感じさせてくれる。

詩と言うのは、全体で詩情を表しているものもあるが、多くは、突然、一行が私たちに予告もなく食い込んできて、その食い込みが、とほうもない詩を感じさせてくれるものではないか。

詩集『貨幣について』は、言葉と詩の、私たちへの食い込み方が、とてもよく表されている詩集だと思う。

(2)生きている人しか詩は読めないのだ、ということ

たとえば、目の前にひとつの詩がある。

この詩を書いたのは、生きている人の場合と、もう亡くなった人の場合の、どちらでもありうる。

けれど、この詩を読めるのは、いま生きている人だけだ。亡くなった人にはその詩は読めない。

当たり前なんだけど、そのことに驚く。

生きているから詩が読めるんだ、それもすごく不思議なことのように思えてくる。

死ぬ、というのは、詩が読めないことなんだとわかる。

さかい目がある。

だから、書くのは生死、どちら側からも書けるから、二つの目線なんだけど、読むのは、生きている人だけだから、通常、たったひとつの目線なんだと思う。

生きている者としての視線でしか詩を読めない。

でも、さとうさんの詩の静謐な姿を見ていると、もしかしたら、亡くなった人もうっかり読めてしまうのではないか、と思ってしまう。

つまり、読む時にも、生きている人の目線と、死んだ人の目線の、両方から読み取れる詩なのではないか。

さかい目を越えてきてしまうのではないか。

『貨幣について』は、そんなふうに感じられる詩なのだと思った。感じた。

繰り返すなら、生きている人が、死んだあとの目を通しても、読める詩なのではないか。

そう感じた、ということだけのことだけど、そう感じた、というのが、詩に触れるとても大事なところなんだとも思う。

(3)こだわりのなさの盛り上がりである、ということ

すぐれた詩には2種類あって、「この詩はいいだろう」とこれ見よがしにその詩のよさを前面に出してくるよい詩と、「詩のよさとか関係ない」というような顔をしている、これ見よがしでないよい詩の、2種類あるような気がします。

さとうさんの詩は、あきらかに後者です。

つまり、この詩集の特徴は、こだわりのなさなのかなと思う。これ見よがしでない。ぎらぎらしていない。そういうのって、さとうさんのどこから来たものなのだろう。

見たもの、感じたことを、作為なく書く事の勇気。これはどこからでき上がってきたものか。

さとうさんの詩の「静けさ」。

わたしが、わたしが、という饒舌な詩もあっていいと思うけど、ふと、さとうさんの詩の静謐に戻りたくもなく。

読み手に、考える時間をくれる詩集なのだと思う。

それで、『貨幣について』という詩集は、はじめのところから、何を何円で買ったとか、ほんとになんでもない行為が延々と書かれていて、もしかしたら、このまま詩集が終わってしまうのではないかと思って読んでいると、途中から。徐々に、ことが起きてくる。盛り上がってくる。

個別の経済行為から、経済生活全般に及び、貨幣の意味や貧富の問題へ向かい、貨幣が及ぼす心情の細々したところにたどり着き、そのような感情とともに生きた肉親の死を描き、死は歌につながり、貨幣の外部を夢想し、自己の肉体と滅びを思い、海という自然に向き合い、結果として、メッセージを内に含んだ詩を、詩の中にではなく、詩の外にひそやかに書いた。『貨幣について』はそのような詩集ではないか。

ということで、『貨幣のなかで』から5つの章を抜粋してここに載せます。あくまでも、詩集全体で、ひとつの作品と考えられるので、ぜひ、詩集を購入して読むことをお薦めします。

『貨幣について』からの抜粋

19

貨幣も
焦げるんだろう

貨幣も燃やせば燃えるんだろう

貨幣を燃やしたことがない
一度もない

新幹線から
流れていく景色を見てた

駅のホームで
過ぎていく貨物列車を見ていた

貨幣は
通過するだろう

貨幣は通過する幻影だろう

消えない
幻影だ

20

貨幣も
焦げるんだろう

貨幣も燃やせば燃えるんだろう

新丸子の
夜道を帰ってきた

夜道では
老いた姉妹のウィンドウのまえで
佇ちどまる

それから
黄色い花のまえで佇ちどまる

過ぎ去るものと
佇ちどまるものと

それを包むものが世界にはある

21

今日も

新丸子の
夜道を帰ってきた

老いた姉妹のウィンドウのまえで
佇ちどまる

貨幣は
この老女たちを買うことができるのか?

特別な者たちを
貨幣は低い場所に引き摺り落とす

無い言葉を抱け
亡き者たちを抱け

貨幣は亡き者たちを買うことができない

39

ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した

脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった

ぐにゃぐにゃ揺れていた
白い液体を吐いた

世界は高速で回った

洗面所の
床に嘔吐した

断崖の病院から青くひろがる海を見た
平らだった

40

貨幣に外部はあるのか
自己利益に外部はあるのか

ぐにゃぐにゃ揺れてた
白い液体を吐いた

世界は高速で回った
世界は

エバは林檎を齧り
柔らかい赤ちゃんを産み育てた

ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した

断崖の病院から青くひろがる海を見た

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