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俳句を読む

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記事一覧

俳句を読む 65 炭太祇 うつす手に光る蛍や指のまた

うつす手に光る蛍や指のまた 炭 太祇

たしか暑い盛りだったと思います。日記をめくってみたら2006年7月16日の日曜日でした。腕で汗をぬぐいながら歩いていると、前方を歩く八木幹夫さんの姿を見つけたのです。後を追って、神田神保町の学士会館で開かれた「増俳記念会の日」に参加したのでした。その日の兼題が「蛍」でした。掲句を読んでそれを思い出したのです。あの日、選ばれた「蛍」の句を、清水哲男さん

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俳句を読む 64 清崎敏郎 氷屋の簾の外に雨降れり

氷屋の簾の外に雨降れり 清崎敏郎

子供の頃、母親のスカートにつかまって夕方の買い物についてゆくと、商店街の途中に何を売っているのか分からない店がありました。今思えば飾り気のない壁に、「氷室」と書かれていたのでしょう。その店の前を通るたびに、室内に目を凝らし、勝手な空想をしていたことを思い出します。氷屋というと、むしろ夏の盛りに、リヤカーで大きな氷塊を運んできて、男がのこぎりで飛沫を飛ばしながら切

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俳句を読む63 境野大波 庶務部より経理部へゆく油虫

庶務部より経理部へゆく油虫 境野大波

なぜ油虫の行き先が経理部なのかと、真っ先に引っかかったのは、わたしが長年経理部で働いていたからなのでしょう。庶務部と経理部に、作者がどれほどの思い入れをしてこの句を詠んだのかはわかりません。ただ、経理で日々苦労を重ねてきたものとしては、つい余計なことを考えてしまいます。経理というのは(庶務も同様ですが)仕事の性質上、どんなに完璧に業務をこなしても、営業のよう

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俳句を読む 62 塚原治 退職の言葉少なし赤き薔薇

退職の言葉少なし赤き薔薇 塚原 治

若い頃は、人と接するのがひどく苦手でした。多くの人が集まるパーティーに出ることなど、当時の自分には想像もつかないことでした。けれど、勤め人を長くしているうちに、気がつけばそんなことはなんでもなくなっていました。社会に出て働くということは、単に事務を執ることだけではなく、職場の人々の中に、違和感のない自分を作り上げる能力を獲得することでもあります。ですから、

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俳句を読む 61 稲畑汀子 花火消え元の闇ではなくなりし

花火消え元の闇ではなくなりし 稲畑汀子

だいぶ前のことになりますが、浦安の埋立地に建つマンションに住んでいたことがあります。14階建ての13階に部屋がありました。見下ろせばすぐ先に海があり、夏の大会では、花火は正面に打ち上げられて、大輪の光がベランダからすぐのところに見えました。ただ、それは年にたった一夜のことです。この句を読んで思い出したのは、目の前に上がるそれではなく、我が家から遠くに見

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俳句を読む 60 飴山實 金魚屋のとゞまるところ濡れにけり

金魚屋のとゞまるところ濡れにけり  飴山 實

そういえばかつては金魚を、天秤棒に提げたタライの中に入れ、売っている人がいたのでした。実際に見た憶えがあるのですが、テレビの時代劇からの記憶だったのかもしれません。考えてみれば、食物でもないのに、小さな生命が路上で売り買いされていたのです。たしかに「金魚」というのは、命でありながら同時に、水の中を泳ぐきれいな「飾り物」のようでもあります。掲句の意味は

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俳句を読む 59 久保田万太郎 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

夏場所やひかへぶとんの水あさぎ 久保田万太郎

掲句を読んでまず注目したのは「水あさぎ」という語でした。浅学にも、色の名称であることを知らず、いったいこのあざやかな語はどういう意味を持っているのだろうと思ったのです。調べてみれば、「あさぎ」は「浅葱」と書いて、「みずいろ」のことでした。さらに「水あさぎ」は「あさぎ」のさらに薄い色ということです。そういわれて見れば、「水あさぎ」という音韻は、

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俳句を読む 58 飯田龍太 嶺暸かに初夏の市民ゆく

嶺暸かに初夏の市民ゆく 飯田龍太

かつて、清水哲男さんから、俳句の鑑賞をしてみないかと誘われて、それまで句を読む習慣のなかったわたしは、にわかに勉強を始めたのでした。ただ、広大な俳句の世界の、どこから手をつけたらよいのかがわからず、とりあえず当時の勤め先近くの図書館の書棚に向かい、片っ端から借りてきて読んだのです。そんな中で、もっとも感銘を受けたのが、飯田龍太著『鑑賞歳時記』(角川書店

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俳句を読む 57 加藤楸邨 覗きみる床屋人なし西日さす

覗きみる床屋人なし西日さす 加藤楸邨

引越しをした先で、ゆっくりと見慣れない街並みを眺めながら地元の床屋を探すのは、ひとつの楽しみです。30分も歩けばたいていは何軒かの床屋の前を通り過ぎます。ただ、もちろんどこでもいいというものではないのです。自分に合った床屋かどうかを判断する必要があるのです。ドアを開け、待合室の椅子に座り、古い号の週刊文春などをめくっているうちに呼ばれ、白い布を掛けられ、散髪

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俳句を読む 56 菖蒲あや  路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ

路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ 菖蒲あや

長年詩を書いていると、あらかじめ情感や雰囲気を身につけている言葉を使うことに注意深くなります。その言葉の持つイメージによって、作品が縛られてしまうからです。その情感から逃れようとするのか、むしろそれを利用して取り込もうとするのかは、作者の姿勢によって違います。ただ、詩と違って、短期勝負の俳句にとっては、そんな屁理屈を振り回している暇はないのかもしれ

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俳句を読む 55 東野佐惠子 平凡といふあたたかき一日かな

平凡といふあたたかき一日かな  東野佐惠子

もちろん平凡な毎日が、ただのんきで、何の気苦労もないものだなんてことはあるはずがありません。そんな人も、まれにいないことはないのでしょうが、たいていの人にとっての平凡な一日というのは、たくさんの辛いことや、みじめな思いに満たされています。それでもなんとかその日を踏みとどまって、いつもの家に帰り着き、一瞬のホッとした時間を持てるだけなのです。でも、その辛

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俳句を読む 54 水原秋桜子 朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ

朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ 水原秋桜子

よくもこれだけ短い言葉の中で、このようなきらびやかな世界を作ったものだと思います。詩歌の楽しみ方にはいろいろありますが、わたしの場合、とにかく美しく描かれた作品が、理屈ぬきで好きです。読んですぐに目に付くのは、中七の4つの漢字です。これが現代詩なら、めったに「鏡中」だとか「落花」などとは書きません。「鏡のなか」とか、「おちる花」といったほうが、やさしく読

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俳句を読む 53 小林一茶 老の身は日の永いにも泪かな

老の身は日の永いにも泪かな 小林一茶

いつまでも色あせることのない感性、というものがまれにあります。また、文芸にさほどの興味を持たない人にも、たやすく理解され受け入れられる感性、というものがあります。一茶というのは、読めば読むほどに、そのような才を持って生まれた人なのかと思います。遠く、江戸期に生きていたとしても、呟きは直接に、現代を生活しているわたしたちに響いてきます。むろん、創作に没頭して

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俳句を読む 52 高浜虚子 三つ食へば葉三片や桜餅

三つ食へば葉三片や桜餅 高浜虚子

桜餅という、名前も姿も色も味も、すべてがやわらかなものを詠っています。パックにした桜餅は、最近はよくスーパーのレジの脇においてあります。買い物籠をレジに置いたときに、その姿を見れば、つい手に取ってかごの中に入れたくなります。「葉三片や」というのは、「葉三片」が皿の上に残っているということでしょうか。つまり、葉を食べていないのです。わたしは、桜餅の葉は一緒に食べて

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