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俳句を読む

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俳句を読む 56 菖蒲あや  路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ

路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ 菖蒲あや

長年詩を書いていると、あらかじめ情感や雰囲気を身につけている言葉を使うことに注意深くなります。その言葉の持つイメージによって、作品が縛られてしまうからです。その情感から逃れようとするのか、むしろそれを利用して取り込もうとするのかは、作者の姿勢によって違います。ただ、詩と違って、短期勝負の俳句にとっては、そんな屁理屈を振り回している暇はないのかもしれ

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俳句を読む 55 東野佐惠子 平凡といふあたたかき一日かな

平凡といふあたたかき一日かな  東野佐惠子

もちろん平凡な毎日が、ただのんきで、何の気苦労もないものだなんてことはあるはずがありません。そんな人も、まれにいないことはないのでしょうが、たいていの人にとっての平凡な一日というのは、たくさんの辛いことや、みじめな思いに満たされています。それでもなんとかその日を踏みとどまって、いつもの家に帰り着き、一瞬のホッとした時間を持てるだけなのです。でも、その辛

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俳句を読む 54 水原秋桜子 朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ

朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ 水原秋桜子

よくもこれだけ短い言葉の中で、このようなきらびやかな世界を作ったものだと思います。詩歌の楽しみ方にはいろいろありますが、わたしの場合、とにかく美しく描かれた作品が、理屈ぬきで好きです。読んですぐに目に付くのは、中七の4つの漢字です。これが現代詩なら、めったに「鏡中」だとか「落花」などとは書きません。「鏡のなか」とか、「おちる花」といったほうが、やさしく読

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俳句を読む 53 小林一茶 老の身は日の永いにも泪かな

老の身は日の永いにも泪かな 小林一茶

いつまでも色あせることのない感性、というものがまれにあります。また、文芸にさほどの興味を持たない人にも、たやすく理解され受け入れられる感性、というものがあります。一茶というのは、読めば読むほどに、そのような才を持って生まれた人なのかと思います。遠く、江戸期に生きていたとしても、呟きは直接に、現代を生活しているわたしたちに響いてきます。むろん、創作に没頭して

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俳句を読む 52 高浜虚子 三つ食へば葉三片や桜餅

三つ食へば葉三片や桜餅 高浜虚子

桜餅という、名前も姿も色も味も、すべてがやわらかなものを詠っています。パックにした桜餅は、最近はよくスーパーのレジの脇においてあります。買い物籠をレジに置いたときに、その姿を見れば、つい手に取ってかごの中に入れたくなります。「葉三片や」というのは、「葉三片」が皿の上に残っているということでしょうか。つまり、葉を食べていないのです。わたしは、桜餅の葉は一緒に食べて

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俳句を読む 51 中村ふじ子 小当たりに恋の告白四月馬鹿

小当たりに恋の告白四月馬鹿 中村ふじ子

四月一日です。エイプリルフールです。では、ということで、いくつかの歳時記にあたってみたのですが、「四月馬鹿」あるいは「万愚節」を季語にした句は、どれもピンときません。とってつけたように「四月馬鹿」が句の中に置いてあるだけのように感じるのです。そんな中で、素直に入ってきたのが掲句です。「こ」の音のリズムに、遊び心が感じられます。たぶん、同じ職場の人について言

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俳句を読む 50 坂本宮尾 春昼の角を曲がれば探偵社

春昼の角を曲がれば探偵社 坂本宮尾

季語の春昼は、「しゅんちゅう」と読みます。のんびりした春の昼間の意味ですから、「はるひる」と訓で読んだほうが、雰囲気が出るようにも感じます。しかし、日々の会話の中で、「しゅんちゅう」にしろ「はるひる」にしろ、この言葉を使っているのを聞いたことがありません。俳句独特の言葉なのでしょう。句の意味は明解です。書かれていることのほかに、隠された意味があるわけでも

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俳句を読む 49 与謝蕪村 遅き日のつもりて遠きむかしかな

遅き日のつもりて遠きむかしかな 与謝蕪村

季語は「遅き日」、日の暮れが遅くなる春をあらわしています。毎年のことながら、この時期になると、午後6時になってもまだ外が明るく、それだけでうれしくなってきます。この「毎年」というところを、この句はじっと見つめます。繰り返される月日を振り返り、春の日がつもってきたその果てで、はるかなむかしを偲んでいます。「日」が「積もる」という発想は、今の時代になっても新

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俳句を読む 48 福永耕二 巻き込んで卒業証書はや古ぶ

巻き込んで卒業証書はや古ぶ 福永耕二

時のめぐり合わせで、わたしは卒業式というものにあまり縁がありません。高校の卒業式は、式半ばで答辞を読む生徒(わたしの親友でした)が、「このような形式だけの式典をわれわれは拒否します」と声高々と読み上げ、舞台に多くの生徒がなだれ込み、そのまま式は中止になりました。時代は七十年安保をむかえようとしていました。そののち大学にはいったものの、連日のバリケード封鎖で、

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俳句を読む 47 榎本好宏 三月は人の高さに歩み来る

三月は人の高さに歩み来る 榎本好宏

数日前にも、窓の外には依然として寒い風が吹きつのっていました。そんななか、風の音を聞きながら、昼間、窓を閉めきった室内で春の句を拾い読みしていたら、こんな作品に出会いました。描かれている情景は分かりやすく、また親しみやすいものです。「三月」「人」「高さ」「歩む」と、扱われている単語はあくまでもありふれていて、特殊なイメージを喚起するようには作られていません。

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俳句を読む 46 長田蕗 自転車に積む子落すな二月の陽

自転車に積む子落すな二月の陽 長田 蕗

この句が、どこかユーモラスに感じられるのは、子供を自転車に「乗せる」のではなく、「積む」と言っているからなのでしょう。まるで荷物を放り投げるように、子供を扱っています。さらに、「落すな」という命令言葉からも、それを発する人の心根の優しさを感じることができます。その優しさは、「二月の陽」の光のあたたかさにつながっていて、太陽の明るい光が、そのまま句全体を照ら

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俳句を読む 45 上田日差子 春一番今日は昨日の種明かし

春一番今日は昨日の種明かし 上田日差子

季語はもちろん「春一番」。立春を過ぎてから初めて吹く強い南寄の風のこと、と手元の歳時記にはあります。「一番」という言い方が自信に満ちていて、明るい方向へ向かう意思が感じられます。春になり、日に日に暖かくなってゆくこの季節に、種明かしされるものとは、命の源であるのでしょうか。「種明かし」という語が本来持っている意味よりも、「種」と「明かす」という語に分ければ

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俳句を読む 44 岡崎光魚 豆腐屋の笛もて建国の日の暮るる

豆腐屋の笛もて建国の日の暮るる 岡崎光魚

昭和をノスタルジーの対象にする最近の風潮には、多少の抵抗があります。しかし、気がつけばわたしも昭和を、懐かしく思い出していることがあります。掲句、「豆腐屋の笛」という言葉を目にして、そういえば昔、そんな音を聞いたことがあったなと思いました。あの、どこか気の抜けた金属的な音が、耳の奥で蘇ります。当時の家は、今ほど密閉性にすぐれていませんから、家の中にいても

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俳句を読む 43 久保田万太郎  春浅し空また月をそだてそめ

春浅し空また月をそだてそめ 久保田万太郎

どこをどうひっくり返しても、わたしにはこんな発想は出てこないなと思いながら、掲句を読みました。昔、鳥がいなかったら空のことはもっと分かりにくかっただろうという詩(谷川俊太郎)がありました。それを読んだときにもなるほどと、うならされましたが、この句にもかなり驚きました。日々大きくなって行く月の現象を、作者はそのままには放っておきません。これは何かが育てて

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