俳句を読む 61 稲畑汀子 花火消え元の闇ではなくなりし

花火消え元の闇ではなくなりし  稲畑汀子

だいぶ前のことになりますが、浦安の埋立地に建つマンションに住んでいたことがあります。14階建ての13階に部屋がありました。見下ろせばすぐ先に海があり、夏の大会では、花火は正面に打ち上げられて、大輪の光がベランダからすぐのところに見えました。ただ、それは年にたった一夜のことです。この句を読んで思い出したのは、目の前に上がるそれではなく、我が家から遠くに見える、もうひとつの花火でした。部屋の裏側を通る廊下を、会社帰りの疲れた体で歩いていると、背中で小さく「ボンボンボン」という音が聞こえます。驚くほどの音ではないのですが、振り返ると、遠い夜空にきれいな花火が上がっています。下にはシンデレラ城が見え、ひとしきり花火は夜空を騒がせています。マンションの中空の廊下に立ち止まったままわたしは、じっと空を見ていました。季節を問わず、花火は毎日上がっていました。私の「日々」が、その日の終りとともに背後の空に打ち上げられているようでした。掲句、花火が消えた闇を元の闇から変えたものとは何だったのでしょうか。読み手ひとりひとりに問いかけてくる句です。わたしにはこの「花火」は、わたしたちの「生」そのものとして読み取れます。消えた後にも、確実にここに何かが残るのだと。『現代の俳句』(2005・講談社)所載。(松下育男)

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