2024年7月17日(水)大切な仕事はつながってゆく。

初めて対面で「詩の教室」をやったのは30代でした。今はもうない「詩学」という詩の雑誌が主催していた「東京詩学の会」の講師にならないかと、嵯峨信之さんに誘われたのでした。

その頃ぼくは、「詩学」の投稿欄の選者をやっていて、その関係で嵯峨さんに誘われたのです。

「東京詩学の会」は、ぼくと嵯峨さん以外にも二人の講師がいて、4人で参加者の詩の感想を、次々に言ってゆくのです。かつては石原吉郎も講師のひとりで、その頃に佐々木安美さんは生徒だったということです。

時々、その佐々木さんが遊びに来ていて、帰りにみんなで水餃子を食べる、というのが慣わしになっていました。今でも、あの水餃子はおいしかったなと、思い出します。嵯峨さんはたいてい上機嫌で昔話をしていました。

その教室で覚えているのは、かなり詩のうまい人が何人かいて、それがほとんど女性だったことです。のちに、長嶋南子さんもその時の生徒だったと知りました。ぼくは何しろ詩の講評をすることに精一杯だったので、生徒の顔を覚えていません。

とにかく、ぼくが言いたいのは、大切な仕事というのは、つながっているものなのだな、ということです。

「詩学」の投稿欄の選者を必死にやっていたら、それが、「東京詩学の会」へ繋がってゆきました。

さて、今年の5月にぼくは、「隣町珈琲」で小池昌代さんと対談をしました。それが、今週末から始まる「隣町珈琲」での「詩の教室」につながりました。

つながった腕を放さずに、大切にやってゆこうと思います。



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