詩の朗読について

ぼくはかつて、池井昌樹さんと「朗読嫌いの朗読会」をやろうと約束しました。あれからもうだいぶ年月が経ってしまいましたが、未だに実現していません。

ところでぼくは、実は、朗読された詩、というものに感動したことが、ほとんどありません。

唯一、子供の頃に、テレビで観た「あすは君たちのもの」や「おかあさん」の中で朗読されていたサトウハチローの詩はすばらしいと思いました。

テレビの前で、毎週、あまりの感動に、しばらく動けませんでした。のちにそれらの詩を本で読んでみたら、さほどに感じられなかったのは、朗読されることによって映える詩、というものがあるからなのか、単にぼくの感性が鈍くなったからなのか、理由はわかりません。

それ以来、多くの詩の朗読をいろいろなところで聴いてきましたが、たいてい、何も感じないか、むしろ聴いていて恥ずかしくなるようなものが多かったように思います。

一般的な話ではあるのですが、朗読というのは、詩よりも、物語やアフォリズム(警句)に向いているのではないかと、ぼくは思います。

それなのにぼくは、Zoom教室や講演の中で、けっこう自分の詩や人の詩を朗読してきました。

自分が朗読に懐疑的になっているのですから、どこまで詩のよさが伝わっているのかはわかりません。

でも、やらないですますよりも、やることによって何かが生み出されるのではないか、という気持ちもあります。

やらないで、「朗読なんて意味がない」と冷静に言う人よりも、人がどう思おうとも読みたいから読んでいる人になりたいと思うのです。

読んでください、という詩もあるのです。

それで、7/5の夜に、高円寺の「バー鳥渡」で、さとう三千魚さんと朗読会をやります。

参加者が数人だけの、こじんまりした朗読会です。

さとうさんは何を読むのだろう、ぼくは何を読もう。

一編だけ決めたのは、当日来てくれる人がかつて、松下のこの詩が好きだと言ってくれた詩です。

そんなことめったに言われることがないので、しっかり覚えているのです。

この朗読会は、あとでネットで聴けるようなので、興味のある方は聴いてみてください。

これからも、ちょっとした朗読会をやってゆきたいと、思っています。

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