昔、詩をやめたことについて
昨日は、高円寺の「バー鳥渡」で、さとう三千魚さんと、詩について話しました。聴いてくれた人は8人ほどの小さな集まりでした。気楽に、いろんなことを話したのですが、その中で、詩をやめたことの話になりました。
さとうさんは、詩集を出したあと、30年間の長いあいだ、詩を書かないでいた時期があったそうです。
ぼくも長いあいだ、書かない時期がありました。同じだなと、思いました。
それで、「書いていない時期に何をしていたのですか」と聞くというと、「とにかく働いていた」と、言っていました。深夜まで働いていたと。
ですから、詩どころではなかったのだと言っていました。
わかります。ぼくも同じでした。詩、どころではない時期というものは、あるのです。
さらに、長いブランクのあとで、再び詩を書き始めたきっかけを聞きました。
そうしたら、病気で弱ってきたお義母さんに、本を作って見せるためだったのだと、言っていました。そうすればお義母さんは喜んでくれて、少しは元気が出るのではないかと、思ったからだそうです。
その理由に、ぼくは深く納得しました。
ぼくも似ていました。
ぼくが再び詩を書き始めたのは、生まれてきた娘たちに、お父さんは、生涯、経理事務だけをしていた人なのではなく、詩も書いてたことがあったのだと示したかったからだったのです。娘たちの記憶に残ってもらえるように、再び書き始めました。
つまり、文学者として書きたいことがあったから、再びやってゆくんだ、なんて、崇高な考えからではなく、あくまでも生活者として、詩を書き始めたのです。
ですから、詩は再び書きはじめましたが、生活者としてのぼくは、何も変わりません。
まずはきちんと生きて行く。そののちに、人生を豊かにする方向へ向けて、詩を人生に添える、という考え方です。
ですから、ぼくは詩人にもどった、というのではなく、生活者のまま、何も変わっていないのです。
朝、歯を磨くように、詩を書という行為を、日々に差し入れただけのことなのです。
さとうさんはどうだったのだろう。そこまでは昨夜、聞かなかったけれども。
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