55年後の「詩の教室」
ぼくは、子どもの頃からずっとひとりで詩を書いていました。九段高校に通っていた頃も、学校で詩の話をする友人は、ひとりもいませんでした。
詩は、家に帰ってから、自分の部屋で、扉を閉め、机に向かって、ひそかに書くものでした。
ですから、高校にいる間は、詩のことは、授業中に窓外の空を見上げながら、堀辰雄や三好達治のことを考えたりはしましたが、誰にもそのことを話すことはしませんでした。
けれど、ぼくのように、ひそかに詩を書いている生徒ばかりではありませんでした。高校の中にも、たまに、自分が詩を書いていることを、堂々と同級生に明かしている生徒がいました。
K君は、ある日の休み時間に、自分が書いた詩を級友に配っていました。あの頃のことですから、たぶんガリ版刷りだったのだろうと思います。
それまで、何人かの同級生が書いた詩を読んだことがありましたが、どれも、どこかでみたことのあるような暗喩に満ちた、何を言わんとしているのかわからない詩が多かったように思います。単純なぼくの詩とは、ぜんぜん違っているなと、ぼくはどこか、自分だけが別の世界で詩を書いているような、あきらめを抱いていました。
でも、その日、ガリ版で刷られたK君の詩をみれば、それまでに読んだ同級生の詩とは違っていました。間違いなく自分の言葉で書かれていました。惹きつけられるように読みました。
もう、言葉までは覚えていませんが、恋歌でした。好きな女生徒を思って書いたのでしょう。
きみの座っていた椅子に
ぼくの帽子を置こう
という一節だけは、今でも覚えています。
ああ、なんていい詩なんだろうと、ぼくは感動していました。
あれから、ぼくはぼくの人生の中で、何冊かの詩集を出しました。その間にいくどか、K君の詩の、一節を思い出すことがありました。
あれからもう55年が経ちました。
昨日、ぼくは池上線に乗って、「隣町珈琲」に行きました。午後7時から詩の教室があるので、その前に、会場で資料の準備をしていました。
すると、開場前なのに、ひとりの男性が笑顔でこちらに歩いてきます。
顔を見て、あっと思って、でも、名前が出てきませんでした。
「Kです。」と言われて、ああそうだ、K君だ。高校を卒業して以来、55年ぶりに会いました。
聞けば近くに住んでいて、「隣町珈琲」には昔からよく来ていたとのこと。
なんという偶然かと思いました。
高校の時に胸を打たれた詩を書いた人と再び会ったその日に、ぼくは詩の教室を、帽子を椅子に置くように、ひそやかに始めました。
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