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ハードボイルド書店員日記【120】

「先を越されたな」

入荷の多い金曜日。翌日は休配だ。トラックのドライバーにも2日休む権利はある。人手不足の書店にとっても荷物がないのは助かる。前日の朝が大変なのはやむなしだ。

開店前に生命力の8割が削られた。朝10時の時点で出汁を取られた鶏ガラ。それでもレジに1時間入る。お客さんが来る。電話も鳴る。どうにか凌いて棚へ。12時までに出せる量ではない。昼休憩の後は他にやることがある。だが時間になっても空腹に耐えて品出しを続けるのはやめた方がいい。そうとは知らぬお客さんから厄介な問い合わせを受ける可能性が高いのだ。

すべての書店員に告ぐ。休憩時間になったらさっさと行け。長い目で見たらその方がお客さんを含む全員のためになる。

13時の5分前に店へ戻る。出せるだけ出し、またレジへ。まあまあの賑わい。ひと段落すると横から声を掛けられた。昔の同僚だ。共に小説家を目指し、新人賞へ何度か応募した。三次選考止まりの私とは異なり、彼は最終まで残ったことがある。

「何の話?」「昨日の芥川賞」「ああ」察した。受賞作「荒地の家族」を書いた佐藤厚志は現役の書店員なのだ。「今日休みだし、近くに用があるから買いに」「職場の売り上げに貢献したら?」「あんな小さい店にあるわけない」「ウチも在庫なし。重版待ち」「マジか。でも悔しいよな。『現役書店員の芥川賞作家』は俺たちのどっちかがなる予定だったのに」よくそういう話をした。レモンを絞った鶏の唐揚げを薄いハイボールで流しながら。

「おまえ、まだ書いてる?」「新人賞には送ってない。noteに毎週掌編を」「手応えは?」「有料版を何人かが購入してくれた」「いいな。俺はもうやめた。この歳になっても梨のつぶてだと、さすがに才能の壁を痛感するよ」こんなことを言いながらも心の底では自信満々。昔はそうだった。「佐藤さんを見習ってまた書けばいい」「よせよ。まぐれで最終選考に一度残ったことをいつまでも自慢のネタにしている男だぜ?」「賞が欲しくて書くわけじゃない」「じゃあ何のためだ?」氷の短剣を額へ突き立てられた。「ちょっと待ってろ」レジを出た。

「これを読め」青土社から出ている「書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集」を手渡す。「チャールズ・ブコウスキーか。昔よく読んだよ。たしか郵便局で働きながら詩や小説を書いてたんだよな」「49歳の年に最初の商業的成功を収め、翌年から専業になった。24ページを開いてみろ」こう書かれている。

「わたしはもう三十四歳です。六十歳になっても成功していなかったら、あと十年やってみるだけなのです」

鼻で嗤われた。「だから諦めるなって?」いつからこんなに話の通じない男になったのか。「結果は気にせず、書きたいことを書きたいように書く。それが俺たちのルールだろ」「要は若かったんだよ。本気で望めば何者にでもなれるって信じてたんだ」耳が痛い。「でも人生の正体に気づいた後でも書くことは楽しかったし、書いている間は絶望を感じずに済んだ。違うか?」黙って俯いている。「ブコウスキーも一緒なんだ。たとえば295ページ」開く。こんなことが記されている。

「書くことで救われ、わたしは精神病院に入ったり、殺人を犯したり自殺をしたりせずに済んだのだ」

「……たしかにな」顔を上げた。「精神病院のことはわからない。でもたしかに俺は自殺しないために小説を書いていた。それだけじゃないけど間違いない」視線が問い掛けてくる。「同じだ。でもいまは違う。俺みたいな人間でも公のためにできることがあるんじゃないか。そう考えて書いてる」「マジか」「無論己のためでもある。自分も世の中を構成する細胞のひとつだから。書くことが役割であり使命だと信じてる。いや本を読み、書き、書店員として売る。そのすべてが」

いつの間にか大勢のお客さんが並んでいる。「この本、買うよ」「いいのか?」「読んでいろいろ考えてみる。ありがとう」こいつの笑顔を見るのはいつ以来だろう。

退勤。着替えを済ませてスマホを見る。LINEが来ていた。「ブコウスキーに救われた。創作はやめない。どちらが先に本を出すか勝負だな」望むところだ。そしてあの本に救われたのは彼だけじゃない。237ページの衝撃。

「うまく書けないとしても、わたしは書くという行為そのものやタイプライターが立てる音、仕上げることが好きなのだ」
「わたしにはどんどん良くなる機会が与えられているのだ。どこまで粘れるかということで、叩き続けていれば、直すべきところもちゃんと見えてくる」

私のために編まれた一冊。そんな気さえした。

書き続ける。それだけが人生だ。

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