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芥川賞の思い出

宇佐見りん「推し、燃ゆ」が相変わらず売れています。

特に若い女性が買っていく傾向が強いです。おそらく彼女たちの多くにとっては、初めて購入する「純文学の単行本」ではないでしょうか。

私が初めて買った純文学の単行本は、平野啓一郎「日蝕」です。98年の芥川賞受賞作。「茶髪にピアスの京大生が受賞」みたいなニュースを当時テレビで見て「面白そうな人がいるな」と。

残念ながら「三島由紀夫のファンだろう」「描写の仕方が理系っぽい」という程度の理解しかできなかったのですが、いま読んだらどうなるか非常に興味あります。

「日蝕」以降、芥川賞受賞作を研究しようと思い立ち、何作か文庫を買って読みました。川上弘美「蛇を踏む」藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」柳美里「家族シネマ」など。でもすいません、愚鈍愚才ゆえほとんど記憶に残っていません。。。

今回の「推し、燃ゆ」と似たような社会現象を生んだ綿矢りさ「蹴りたい背中」は、単行本を図書館の書棚の前で立ち読みしました。パラパラ捲っているうちに全部読んでしまったので夢中になったのはたしかです。ただ、これも「太宰が好きなんだろうな」という印象のみ。野暮な人間で申し訳ない。

初めて「何だこれは!」という忘れ得ぬインパクトをもらった受賞作は、モブ・ノリオ「介護入門」です。半分ラリッているヒップホップな語り口調に乗せて切実な介護の実状を真面目に語るというもの。「時代性・社会性を斬新な切り口で捉えるってこういうことか」と妙に納得しました。

あと覚えているのは第142回(だったかな)。候補作の松尾スズキ「老人賭博」がメチャメチャ面白くて「絶対これだろう!」と思ったら、まさかの該当作なし。数年前にも「これしかない」と確信した千葉雅也「デッドライン」が受賞を逃しました。直木賞は割と的中させているのですが。

ここ数年の受賞作で最も好きなのは町屋良平「1R1分34秒」です。元々沢木耕太郎「一瞬の夏」の大ファンですし、プロレスや格闘技を見るのが好きなのでボクサーの日常を描いた同作にはすぐ惹き込まれました。

あれだけハードでストイックで苦しい生活を耐え忍んでもギャラは安いし、まるで報われない。そんな「見返りを求めずただ捧げる」ような生き様にどこか自分を重ねていたのです。だからこそ終盤の展開に胸が熱くなりました。

「結果は二の次で一生懸命やったことが大事」というのは紛れもない真実。と同時に「どうしても勝ちたくて全力でやったからこそ、負けても納得できる」のも事実ですよね。

だから最近では結果が腑に落ちないシチュエーションが続いた際は「本当に全力を尽くした?」「そもそも全力を尽くしたいと本気で望んでた?」と己を省みるようになりました。「惰性で全力出した振りして自分の本音を誤魔化してないか?」と。

公募新人賞に作品を送るのをやめ、noteで毎週日曜日に掌編を発表する形に切り替えたのはこの影響です。この形なら毎回全力を尽くせると。そう考えると「1R~」は私の人生でかなり重要な意味を持つ一冊であり、それを紹介してくれた芥川賞には感謝しかありません。

「推し、燃ゆ」もきっと読んだ誰かの人生に、本人には想像もつかない形で重大な意味を付与するのでしょう。それが優れた文学というもの。いつか私もそういう作品を生み出せるひとりになりたいです。





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