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「大江健三郎・追悼コーナー」に置きたい3冊

↑は紀伊國屋書店・新宿本店が展開した追悼コーナーに関する記事です。「大江健三郎全小説」シリーズを即座に並べられるのはさすがですね。

一方、私の働く書店でいまできるのは「追悼・大江健三郎」のPOPを付け、文庫のフェア台に代表作を数点置くぐらい。新書の「ヒロシマ・ノート」や「沖縄ノート」も重版したら併売するように担当に言わないと。

もし自分が自由に「大江健三郎・追悼コーナー」を作れるのなら、と考えてみました。上記の新書2冊に加えて絶対に外せないのは↓です。

「大江さんじゃないよ」と思いましたか? 阿部和重さんは大江さんから多大な影響を受けたことを公言している作家です。そして「ニッポニアニッポン」に関しては、伊坂幸太郎さんが対談の中でこう評しているのです。

「『ニッポニアニッポン』が出たときも、僕は大江健三郎が好きなんですけど、大江さんが僕たちの世代だとしたら、『ニッポニアニッポン』のようになると思ったんです」

出典は↓。

実際「ニッポニアニッポン」には、ナイーブな青少年が現実世界に打ちのめされ、やがて独り善がりの正義感に囚われて暴力に走るという、初期の大江作品に通ずる要素が描かれています。

ぜひ↓に収録されている「セヴンティーン」を「ニッポニアニッポン」と併読してほしい。少なくとも青少年にとっては「性的」と「政(治)的」はある意味で地続きではないのか? 我が身を振り返ってみても、思い当たる節が多々あります。そこを掘り下げることが、現代に漂う虚無感を打破し、かつ突発的な暴力事件を未然に防ぐためのヒントに繋がるかもしれない。

↓も紹介させてください。彼の著書の中で最も好きな一冊です。

昨年ウクライナで戦争が始まり、すぐに読みたくなったのがこの本の表題作です。戦後日本の欺瞞的な平和を勇ましく批判し、でもじゃあおまえがエジプトかベトナムで戦うかと問われたら尻込みしてしまう。日本人の欧米人に対する弱腰を嘲笑した外国人記者を後ろから殴ることしかできない。そんな卑劣で臆病な若者に己の正体を重ねました。

いや私なら自分がどんなに外国人から侮辱され、同朋が不条理な物理的暴力で傷つけられても手を出せないのではないか。この主人公以下ではないのか。仮に日本がウクライナと同じ状況に陥ったとしても、きっと自分は。そこまで考えました。

もちろん暴力を肯定などしません。しかしその理由が単なる臆病ゆえの保身なのか、あるいはガンジーみたいな自己犠牲を厭わぬ信念に則ったものなのか。その答えは本人がいちばんよくわかっています。「自分の国は自分で守る」「自分の身は自分で守る」この大前提の忘却を平和を愛する気持ちで正当化してはいけないのではないか? 

時代ごとの特徴を捉え、なおかつ普遍的。それこそが名作の証だと考えています。まだまだ大江さんの作品から学ばせてください。ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。

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