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救いの「無限連鎖」を始める一冊

海外文学の復刊・新訳が続いています。

図書館で借りるか古本屋で発掘するしかなかった名著たちを、新刊書店で気軽に買えるのはありがたい。旧訳との読み比べという贅沢な楽しみ方も教えてもらいました。

最近でいちばん嬉しかったのは、やはり3年前に出た↓でしょう。

やるせなさが込み上げてきます。理不尽、差別、格差社会。諸々に苦しむ人びとの話を静かに受け止める聾唖の男。では彼の悩みはいったい誰が。

一見は知性的で余裕があり、満ち足りていると映る。ダムか海のような包み込む器の大きさを感じる。しかしその実態は本人にしかわからない。

リフォームの営業マンをしていた頃、洒落たジャケットを着こなして頭の回転が速く、穏やかに話す老紳士からアポを獲ったことがあります。家に入ってみると、まさかのゴミ屋敷。生活も困窮していて、見積もりの額を払うのはローンでも厳しいとのことでした。

申し訳ないと何度も頭を下げられ、恐縮したのを覚えています。どうにかしてあげたい。でもどうにもできない。あれは「心は孤独な狩人」を読む過程で覚えたものに近い感情だった気がします。

「グレート・ギャツビー」を読んだ際も、同じような思いに襲われました。本の中に入って「違うんだよ。そうじゃないんだよ」と登場人物たちに伝えたかったです。

読書を通じてこういう体験を積み重ねることが人間形成にどういう影響をもたらすのか? おそらく共感力は磨かれるはず。他の人がスルーしてしまうちょっとした現象や感情の流れに気づけるようにもなる。気づいてもらえる側にとってはその方が幸福でしょう。

しかし気づいてしまう人にとってはどうなのか? 

みんなと同じ方がラクです。少なくとも日本では。集団の中でひとりだけ違う意見を持てば「空気を読め」と白い目で見られ、有形無形の同調圧力にさらされる。にもかかわらず、権威や専門家、多数派と呼ばれる側が致命的な誤りを犯していることが多い。

間違った固定観念に凝り固まった多数派集団をAとし、それに対して反発する少数者及び社会的弱者をBとします。世の中にはBの抱える孤独や悲しみに耳を傾けてくれるCもいる。崖から落ちそうな子どもをキャッチする存在でありたいと願う「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデンのように。

おそらくBはCの存在によっていくらか救われている。それはいい。でもじゃあCを救う人はどこに?

「あいつはしっかりしているから大丈夫」とパッと見の印象で決めつけられたCが正義感と苦悩の板挟みで限界を超え、闇へ取り込まれる。某アニメのように「あたしって、ほんとバカ」の一言を残して。そういうケースは少なくない気がします。

だからマッカラーズを読んだ人は、できたらCの葛藤に気づけるDになってほしい。Dの悩みを察した人はEに。優しさゆえに不条理な苦しみに苛まれる人を救う「無限連鎖」が続くための第一歩がこういう名作文学に触れることではないかと考えています。

「心は孤独な狩人」新潮文庫版は9月28日発売予定です。お求めはぜひお近くの書店にて。

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