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ハードボイルド書店員日記【152】

「さあ、困りましたわよ」

不安定な天候のせいで暇な午後。給与明細の額に相応しい働き方をするのはいつ以来か。そういう日に限って大きなミスが起きるから気は抜けない。にもかかわらず、左のレジに入った文芸書担当が藪から棒に場末の舞台女優みたいな口調でつぶやく。

「何が?」「次の木曜、京極夏彦の新刊が発売されます」「だね」「合わせてフェアをやろうと考えていたんです。○○さんとコラボして」文庫担当の名前が出た。「いいと思う。百鬼夜行シリーズの新作は17年振りだし、本の重量がニュースになっている。店頭に積めばお客さんは必ず見に来るよ」「ただよくよく調べたら、翌週に東野圭吾と伊坂幸太郎の最新長編も」しかしフェア台のスペースは限られている。

「先輩なら誰を選びますか?」「伊坂」「判断早っ。ファンでしたっけ?」「全員好きだ。代表作はほぼ読んでる」「じゃあなぜ」「名言が多い。POPへ抜き出したら目に留まるはず」「たとえば?」大股で角川文庫の棚へ向かい「グラスホッパー」を手にして戻る。

「今度出る新刊と同じ<殺し屋>シリーズの1作目だ」「バッタバッタ死んでいくんですね?」無視した。「まずは99ページ」こんなことが書かれている。

「政治家なんて、誰がなっても一緒だろうが」
「ばーか」
「同じ奴がずっと政権を握ってたら、腐るに決まってんだ」
「どうせ、誰がなっても一緒なら、それこそ、定期的に入れ替えねえとやべえだろうが」

「全面同意。いいこと言いますなあ」「殺し屋とその上司の会話だ」「ダメじゃないですか」ころころ笑っている。「他にはこんなのもある」記憶を頼りに212ページを開く。あった。

「本当に大事なことは、小声でも届くものだ」
「本当に困っている人間は、大声を出せない。だろ?」

「いらっしゃいませ」彼女が唐突に朗らかな笑みを浮かべた。顔を上げる。カウンターの前にアジア系の若い女性が立っていた。震える右手から差し出されたスマートフォンの液晶画面に「合気道の本はどこですか?」と表示されている。「オンリージャパニーズブック。OK?」ちょっと案内してきます、とカウンターを出た。

時の砂が穏やかに流れる。たまにはこうじゃないと最低時給で働く旨味がない。「戻りました」「おかえり」「ホント伊坂さんの仰る通りですね」「作中で口にしたのは凄腕の殺し屋だ」「またですか」「そういう小説だよ」「たしかに<殺し屋>シリーズでした。でもあまり怖くなさそう」「そそられる?」ですねえと飼い猫の背を撫でる手つきで表紙に触れる。

「伊坂フェア、やりたくなってきました」「ぜひ」「先輩、POP書いてくれます?」「さっきみたいな感じでいいのなら」「あと選書のアドバイスも。さすがに全部は置けないし」「シリーズの既刊3作と『砂漠』、あと『死神の精度』『チルドレン』は冬のボーナスをゼロにされても外せない」「判断早っ。つうか私たち元々ボーナスないし」

本当にPOPに記したいフレーズは他にある。どこのページかは内緒。実際に読んで探してほしい。こんなセリフだ。「いろんなことを消化するんです」「生きようと思うんですよ」「見てろよ。僕は生きてるみたいに生きるんだ」

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