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<小説>新世界の「ドリームメイカー」

「ナカムラくん、才能あるよ」「いやいや」「絶対小説家になれるよ」「どうかなあ」「時間の問題だよね」「だといいけど」本当は誰よりも信じていた。他の生き方、保険、社会の厳しさ、そんなものとは無縁だと。

現実は頭の中にはない。目の前にある。

「お電話ありがとうございます。○○書店△△店、ナカムラでございます」「すいません、来月発売する××の……」
またか。某男性アイドルグループのDVD及びブルーレイの予約だ。特典のブックレットが四種類あるらしい。残念ながら締め切っている。ノーを告げるのが忍びない。本当は事故対応用に少し残しているからだ。嘘は嫌だ。気分が滅入る。

電話を切る。客が来る。マシーンに徹する。マニュアル通りに話し、正しい手順でレジを打ち、カバーをかけ、袋に入れる。時々問い合わせを受けて本を探し、ないものの注文を受ける。補充で入ってきた大量のコミックをシュリンカーへ流すこともある。数時間の辛抱だ。14時になれば速やかに退勤の打刻をする。カウンター内と事務所、そして仕入れ室に溜まった燃えるゴミと不燃ゴミを各々ひとつのビニール袋にまとめ、地下1Fの集積所へ運ぶ。

待ち遠しい。たとえ透明な壁に囲まれたような疑わしい解放感であっても。

客注を受けた。メモを元にPCのキーを叩き、伝票をプリントアウトして渡す。店用の控えは穴を開けてファイルする。難しいことは何もない。誰でもできる。誰もやりたくない。誰かがやらねばならない。

「ナカムラさん、このクレジットってどうやるんでしたっけ?」「暗証番号とサイン両方もらうタイプです」「あ、そうだ。この前も訊きましたよね」先月入ったパートの女性。二十代後半ぐらいだろう。小柄で肌が白く、色素が詰まった黒髪を淡いベージュのポニーテールでまとめている。

左手の薬指を見るまでは幸せだった。

「できました。ありがとうございます」「いえ」「今日はナカムラさんがレジにいてくれるから楽ですね」「そうですか」「株の調子はどうです?」「悪くないです」「いいなあ。羨ましい。私にも教えてくださいよ」「ははは、いいですよ。そのうちに」

某電力会社の株を買っている。半年に一度の配当金がある。嘘ではない。だから昼までしか働かない。誰もが羨望の眼差しを向けてくる。彼らは知らない。その株は父から譲り受けたものであることを。私は一切関与せず、ただカネをもらっているに過ぎないことを。

そして彼女は知らない。自分とほぼ同世代っぽく見えるバイトの先輩が実は四十代で、しかも彼女いない歴=年齢であることを。いまだに実家で両親と一緒に住んでいることを。「居候以下」「いつまで親のすねをかじるのか」と呆れられていることを。ひとり暮らしの経験がなく、宅急便や粗大ゴミの出し方すら把握していないことを。

話さないのは嘘をついたことにならない。

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