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詩以外のなにか
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記事一覧

創造の倫理、不信への信仰

「アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である」
“Nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch”

このテオドール・アドルノの有名なアフォリズムに、私はずっと囚われています。この言葉の意味することと、その上で我々がとるべき態度について。アドルノは、ユダヤ人という彼の視点から生まれたファシズムに対する批判的な執筆とは裏腹に、ナチスに

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序文、季節の実践のための

ぼくは以下のことを、「生きるという実践」から導き出したので、参照するべき言葉を知りません。批判では決してないのですが、参照は繋ぐという種の美しさがある反面、あらゆる余韻を奪い去るような速度と、権威性に近づいてしまう懸念があるので、できることならこれを避けて語る必要があるように感じています(愛の表明については、その限りではありません)。そして何より「参照しないこと」は、ぼくがこれから語ることの鍵を握

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断罪しない言葉のための詩論

はじめに本論は私の個人的な詩作の方法、つまり言葉との付き合い方についてまとめる試みである。この方法によって私は詩を読み書きすることを許された。またこの方法によって、たくさんの怒りを葬った。この方法自体は人類にとって既出のものだが、ここに記載する意義はまさしく、本論が私の個人的な実感を伴っていることである。本論の根底にあるものを導出することに要した時間、その苦悩を踏まえると、この実感はひとりの人間の

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狭くなりゆく門

これは他の誰でもない、僕自身のための言葉だ。
よって、価値がない、ということはあり得ない。

赦すということについて、整理をしておく必要があった。それは実際、命懸けのことだった。かつて、ともすれば今なお、僕は、生きることはおろか、死ぬことさえも赦せないからだ。

僕はかつて、潔癖だった。物質的にではなく、精神的に。理路は整然としていなくてはならず、思考は洗練され、行為はすべてその上で制御するべきも

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遊ぼう、ぼくは永遠を抱きしめているから

遊ぼう、ぼくは永遠を抱きしめているから

ぼくは無視する
すべての残酷は食卓に宿る、だからこそ
右手にナイフを、左手に愛を
だれかひとりを犠牲に、
または英雄にすることばかりが横行している
それはフォーカスのしすぎ
ぼやけること
そして点たちを適当に繋いでゆくこと

これはnoteをはじめた理由にも繋がるんだけど
と、ふたつめの前置き

ぼくは言葉をつかって
きみに(あるいはぼく自身に)聴いている
「きみはどう思う?」
いまやぼくの使う言

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詩の価値について

詩の価値について

してきたことの総和がおそいかかるとき
おまえもすこしぐらいは出血するか?

堀川正美
『新鮮で苦しみおおい日々』

詩とは何なのでしょうか。

僕は詩が何であるか、その答えを知りません。詩は、近づけば離れていってしまい、離れれば突然迫りくるような運動です。そのため僕は、永久にそれが何かを知ることはできないでしょう。そんな得体の知れないものに、何故か惹かれてしまうのは、殊に現代においては、詩に対して

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