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レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第17回
日本コロムビアでは使用されなかった “2eyes” レーベルデザインとその周辺
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
米本国のCBSは “6eyes”の後にレーベルの左右にCBS Eyeを配置する “2eyes”デザインへ移行しています。登場時期は1962年6月と言われ、品番のCL-1820/CS-8620以降だともまで調べがついているよう
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第16回
ちょっと変わった“6eyes” レーベルデザイン
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
前回は“6eyes” のレーベルデザインについて、ステレオ仕様、モノラル仕様のデザイン違い、ポップスジャンルの赤地、クラシックジャンルのグレー地で見て参りました。今回はちょっと変わった“6eyes” のレーベルデザインを見ていきましょう。
『Stere
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第15回
日本コロムビア発売の洋楽(クラシック、ジャズ含む)LP 盤レーベル変遷(その3)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
前回は日本最初の邦楽LP盤の話を差し込んでしまいましたので、軌道修正して今回は日本コロムビアでの通称 “6eyes(六つ目)” のレーベルを見ていきましょう。
米本国のCBSがこの “6eyes” のレーベルデザインに用
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第14回
日本コロムビア発売の邦楽LP 盤第1号を入手
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
前々々回(第11回)で日本で最初のLPレコード登場について触れました。その際に国産初の邦盤LPが1953年に発売された旨も記載いたしました。
その国産初の邦盤LPを入手することができました!
芳村伊十郎『長唄 越後獅子/長唄 浅妻船』(BL 5001 )
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第13回
日本コロムビア発売の洋楽(クラシック、ジャズ含む)LP 盤レーベル変遷(その2)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
前回では日本で初めてのLP盤以降のMasterworksのZL品番、本国アメリカでのMasterworks盤の色違いなどを見て参りました。
今回はLP盤登場初期の日本コロムビアMasterworks盤以外のレーベルデザイン
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第12回
日本コロムビア発売の洋楽(クラシック、ジャズ含む)LP 盤レーベル変遷
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
前回は、1951年に国産初の洋盤LPが発売された同時期のレーベルデザインについての確認までを論考させていただきました。今回はそれ以降の日本コロムビアにおける洋盤LPのレーベルデザインを探っていきたいと思います。
前回のWL5004
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第11回
LPレコード登場までの歴史
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
1877年にトーマス・エジソンが錫箔円筒蓄音機を発明し、フォノグラフ(Phonograph)と命名しました。これがレコードの歴史の始まりとなります(参考:トヨタ産業技術記念館)。
当初は円筒式蓄音機であったが、1887年にエミール・ベルリナーにより円盤式蓄音機へと改良され、
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第10回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(9)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
低迷期からの脱出。吉田建(B.)、村上ポンタ秀一(Dr.)、仲井戸麗市(G.)、下山淳(G.)からなるLOSERを引き連れ、ビクター(Invitation)への移籍。アサイラム期、ポリドール期があったからこその覚醒期とも言えます。
Invita
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第9回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(8)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
泉谷しげるは、ポリドール期からビクター(Invitation)への移籍の間に、自主制作でミニアルバム(と言うよりは12インチ・シングル)を発売した。
『Scar People(スカーピープル)』(15SW-4509)1986年
レーベルはSW
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第8回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(7)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
アサイラムでの泉谷作品は、評価は高いもののセールスには直結せず、活動は俳優業の比率が上がっていく。1981年にはわずかシングル1枚を発表するだけで、それも自身の出演作である映画『ええじゃないか』のタイトル曲「ええじゃないか/IBO!今夜は徹夜だぜ
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第7回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(6)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
泉谷しげるがワーナー傘下のアサイラムからアルバムを発売していた時期と重なるが、渡辺プロダクション、トリオ、西武百貨店の三社で1978年に設立したSMSレコード(サウンズ・マーケッティング・システム)から、泉谷しげる関係のレコードが数枚発売されてい
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第6回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(5)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
1977年、フォーライフを退職した泉谷しげるは、1978年にワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の洋楽部門レーベル「アサイラム(Asylum)」に移籍しました。
アサイラムでの泉谷作品は以下の通り。
【アルバム】
①『'80
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第5回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(4)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
前回はフォーライフ・レコードでの泉谷しげるのアルバムを見てまいりました。今回はシングル盤を中心に見ていこうと思います。
泉谷しげるがフォーライフから出したシングルは以下の4枚。
「寒い国から来た手紙/1/2ブルース」(FLS-1)1975年8
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第4回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(3)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
泉谷しげるが移籍してきたレコード会社のレーベル面を見ていくという切り口連載で、前回まではエレックレコード期を中心に見て参りました。
今回は、その後に泉谷しげるが小室等・吉田拓郎・井上陽水と一緒に1975年に設立したフォーライフ・レコード期を見て
レコードレーベルあれこれ~個人研究のまとめと疑問点~第3回
泉谷しげるのレーベル移籍変遷にみるレーベルデザイン(2)
アナログ・レコードの中心部にある丸いレーベル。
そこにはいろいろな情報が詰め込まれている。
前回、エレック・レコード期の泉谷しげるのアルバムを中心に見ていきましたが、今回はシングル盤を見ていこうと思います。
黒沢進・編著による『資料日本ポピュラー史研究 初期フォーク・レーベル編』(白夜書房発売 SFC音楽出版/1986年発行)によれば
[『音楽の消費材化』について] 私なりの勝手な私論
音楽と言っても、「芸術音楽」「大衆音楽」とあって、後者の中でも特に「商業音楽」は売ってナンボがベースにあり、そこには著作権や原盤権などの利権も複雑に絡んでくる。
ラジオやテレビ、店頭で流れるだけでなく、発表会などで演奏されても著作権料は発生し、商業的に流通する仕組みの中にある。そういう意味では形態がCDというメディアでなくても、現代において音楽はかなり前から消費材なんだと私は考えます。
作詞家